校舎は壊れたまま放置されている。コンクリートの壁が破壊されている。どのような衝撃がかかったのだろうか。
大川小学校の裏山。ここに逃げておけば……と指摘されているあの裏山だ。小学校の敷地のすぐ裏に隣接しており、その箇所は杉が植林されている。コンクリートの壁になっている部分もあるが、裏庭からそれほど遠くないところに、写真のとおり緩やかな傾斜が林の中に続いている箇所があった。子供の足でも40分もあればそれなりに遠くまでたどり着けただろうと思われる。それでも、余震の続く状況では、がけ崩れなどに巻き込まれる状況のほうが津波などよりはよほどリアリティが感じられたのであろう。マニュアルや緊急時の意思決定システムが確立されていれば……。
小学校の周辺地域の様子は衝撃的である。南三陸町などもひどい有様ではなるが、なんとか仮設店舗で営業している人たちがいて、道路工事や片付けなど、とにかく復興に向けてのアクティビティは感じることができた。だが、ここは、とにかく小学校とケータイの中継用らしき鉄塔以外の物は何も残っていない。どこまでもどろどろの更地が広がるばかりである。時間帯が夕方だったこともあるだろうが、とにかく活動している人の姿がどこにもない。グーグルで画像検索してみると、震災前までは小学校の回りは多くの民家に囲まれ、普通の田舎の集落だったことがわかる。それが、一転してゴーストタウン以下の状況に陥ったのだ。「死の街」発言で辞任に追い込まれた大臣がいたが、なにが不謹慎な発言なものか。これはまさに「死の街」ではないか。
最後に、校舎に隣接して設けられた祭壇の写真を掲載しておきたい。このメッセージを見ると、絆とはなんだろうということを考えずにはいられない。犠牲となった児童たちを悼んで、それを何かの形にしたいと思う人がたくさんいるのは理解できる。だが、本当に当事者のことを思いやるなら、そうした「形」を残せて満足した来訪者の後で、地元の人がどういう気持ちでそれらを始末しているのかまで想像するべきだろう。
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