東北旅行2日目。南三陸町中心部を訪れた。ここは20年近く前、大学の仕事で一度おじゃましたことのある地。ウニやホヤを随分ごちそうになったものだが、残念なことにそれらの場所が正確にどこだったか思い出せない。当時お世話になった人たちの消息も殆ど不明だ。
写真はかなり横長である。ブログ本文ではおそらく一部しか表示されていないはずなので、クリックして全体を表示させてみていただきたい。
南三陸町の市街地だったところを、付近の丘から撮影したところである。手前のスペースはもともと民家か店舗のようなものがあったようだが、今はつぶれた車の集積所になっている。その向こうに広がる広々としたスペース。中央奥に小さく見えているのは病院である。このようにいくつかの鉄筋コンクリートの建物は何とか外殻だけは残っているわけだが、周りのほとんどは全滅したわけだ。かろうじて道路だけは通してあり、信号機も2箇所だけ稼動している。
地平に降りて、信号が再建された交差点から周囲を撮影した。画面をクリックして拡大表示してみてほしい。右側の信号機のすぐ脇に見えているのが、あの防災庁舎である。
その防災庁舎の周辺の状況である。40人からの人々が波に飲まれる瞬間を捉えた写真が新聞報道された、あの現場である。写真ではこの庁舎のすぐ脇に病院があるかのように見えていたが、実際はかなり離れている。望遠レンズによる効果ですぐ近くにあるように写ったのだろう。病院でも何十人もの患者と職員が命を落とした。よくみると、病院の裏手の棟の屋根にはまだ船が乗っかったままである。
果敢に営業中のガソリンスタンド。本来の建物は事務所部分が流失していて、給油設備上の屋根も骨組みしか残っていない。プレハブの事務所を立ててがんばっている。付近でやっているGSはここのほかに内陸にもうひとつあったようだ。この状況では自家用車だけではなく建設機械のためにも、貴重な施設であろう。
奥に見えるのは集積された瓦礫の山脈。ここは海辺の公園だったのだ。
公園に展示されていたはずのSL。仮設の道と水道管が、これを迂回するように設置されていた。
瓦礫。
内陸に設けられた仮設商店街。食料品などを扱う小売店のほか、理髪店や電気店も営業していた。
この商店街の脇はバスステーションとなっているようで、この写真をとっている脇には、埼玉から来たボランティアの人たちを乗せたバスが停車していた。また、私がここに入ってくるのと入れかわりに、新潟ナンバーのバスが出て行くのを見た。それなりの数の人が復興のために汗を流しているようだ。
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