私がブログに手を出すきっかけを作ってくださった、余丁町散人さんが1年半も前にお亡くなりになっていた。
10年前。ブログというものが世の中に出て程なくの頃。もちろんtwitterやFacebookはまだなく、ネット上での個人ベースでのコミュニケーションというと「掲示板」が主流であった。
散人さんと初めてお会いしたのはその更に数年前に遡る。インターネットは普及の兆しをみせつつあったがWWWというものはまだそれほど日本各内で普及していなかった頃、今はすっかり廃れたネットニュース(asahi.comなんかのことじゃないぞ)というメディアがあった。当時は貴重なネットコミュニケーションの場であったのだ。散人さんは主に社会問題系の話題において、間の抜けた主張を繰り広げる凡庸な参加者を舌鋒鋭く切ってのけておられた。コメントは読んでいて面白く、私は自然と氏の運営する掲示板を頻繁に覗くようになった。
やがてブログが脚光を浴び始め、散人さんはいち早くブログでの言論活動を開始すると、あれよあれよというまに有名ブロガーの仲間入りを果たされたのだった。その散人さんに「面白いからやってみれば」と北国TVというサイトを教えてもらったのが、私がブログをはじめるきっかけとなった。
それから約10年。いろいろあって私の中のブログ更新のモチベーションは下がってしまい、こうして書いているこの記事が2015年の初エントリーという始末。自分が書かないだけでなく、定常的に見に行くブログというのもほとんどなくなってしまった。
だが先日、ブログで盛り上がっていたあの頃お世話になった方たちは今どうされているだろうと、ふと気になったのだった。古いブックマークを引っ張りだしたり、ググったりした結果、遅ればせながら散人さんの訃報に接したという次第だ。
息子さんが書かれた訃報によればもう長らく闘病生活を送っておられたらしい。ご本人による最後の投稿は、「あまりに長い間、何も書かなかった。理由は山ほど。ボツボツ説明して行く必要があると思う。」という短いものだった。死去の11日前であり、「ボツボツ説明」はついに成されることはなかった。
散人さんは経済の専門家だった。私の苦手分野である。それだけにブログ記事は私にとって非常に示唆的だった。政治系ではイラク戦争前後の米国批判が印象に残る。イラク戦争がもたらした災は残念ながら散人さんの懸念が完全に的中した形である。
反面、余りに「合理的すぎて」賛同しがたい主張もないではなかった。年金格差についての主張には共感できなかったし、生態系や外来種の扱いに関する主張では私とはかなり対立的であった。といっても私が議論を仕掛けても険悪な雰囲気にはならなかったのは、散人さんの懐の大きさゆえであっただろう。
まだ老衰で亡くなるようなご年齢ではなかったはずだ。本当に惜しい人をなくした。安倍晋三が冥府からまさかの復活を果たし邪悪な政策を推し進め、ISに代表される極端な民族主義・原理主義が世界平和に大きな影を落としている昨今こそ、余丁町散人さんの言論人としての活動を見てみたかった。
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