何が言論封殺か!

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久々にブログを更新すべきネタが出来たようだ。

あるブログが、ウィキペディアをめぐるあまりにマヌケな「陰謀論」を開陳し、私のハンドルを出した上で、言うに事欠いて「言論封殺」と来た。これはきっちり引導を渡しておかなくてはなるまい。

まずはウィキペディアの問題の記事をよく読んでもらいたい。


  • 現在の版: 私が言うのも何だが、事件についてのエッセンスがバランスよくわかりやすく無駄なく説明された、かなり良い文章に仕上がっていると思う。

  • 改定前の版と読み比べていただきたい。冗長。感傷的。ひどい文章である。およそ百科事典の文章ではない。

改訂に向けての議論の経緯もすべて読むことができる。

さて、以上を踏まえて、問題のブログを読んでもらいたい。

ブログ主は、情報提供者(もしかしてウィキペディア上でやりあったご当人かな? コピーと言ってもいいくらいに主張のパターンが瓜二つだが?)と一定の信頼関係にあり、その言い分をろくに検証しもせずに鵜呑みにして記事にしたのだろうが、結果として私の名誉を毀損し、ウィキペディアの編集内容を不当に貶め、デマを拡散することに加担したのだ。猛省を促したい。

結論は上の議論を見れば明らかなのだが、どうしてもわからないという人のために、一度だけ説明しよう。

ウィキペディアには(他のどのようなメディアも大抵そうだが)、編集方針というものがあり守備範囲というものがある。勘違いする者が跡を絶たないのだが、ウィキペディアは善意のボランティアが何でも自由に自身の心情に基づく主張をアップして良い場所ではないし、万能の社会の木鐸などではないのだよ。

ウィキペディアとは、あくまでも主題とする事物について「既にわかっていて誰かがきちんと言及していること」を淡々と説明する場である。

記述の基盤は「他の誰かが然るべき検証可能な媒体上でこう言った」という情報の集積に置かなければならない。検証可能な場とは、新聞・雑誌等々のマスメディア、専門雑誌の記事、記述対象の個人や団体自身が運営しているブログなりウェブサイトなりに公式に記述されている内容などであり、個人ブログで誰かが好き勝手に開陳した推論などは認められない。「テレビで誰それがこう言っていた」などというのも検証不可能なので認められない。また仮に検証可能な媒体に記述があったとしても、主題に照らし合わせて枝葉の話題にすぎないものはウィキペディアに書くべきではない(誰かが見つけられたら消去される)。「ウィキペディアはデータベースではない」とは方針文書に明記されていることであり、執筆に参加するからには誰しも順守することが求められる。また、位置づけのはっきりしない断片的な情報を色々かき集めて何かをほのめかすような試みは、ウィキペディアではもっての外である。これをもって捜査に貢献するなどというのも全くナンセンスの極みである(これはルール以前に、ちょっと考えれば如何に浮世離れした非現実的なアイディアか分かりそうなものだが)。

「赤報隊事件」の前バージョンは、明らかにウィキペディアのスタイルを逸脱していた。情報の無節操な収集、情緒的な説明、意味のない写真。ひどいものであった。「情報を少なくしようとしている」などと件のブログは書いているが、文量は増やせばいいというものではない。それは大きな誤りである。瑣末な情報、ゴミ情報がゴマンとあっては、真に重要な部分が見えなくなり、読者の理解を阻害することになるのだ。件の記事はまさしくそのような良くない状態にあった。

また、真犯人は今のところ不明である。ただし少なからずの人が右翼の関係者だと推測している。従って「犯人は右翼と考えられる」も「犯人は右翼とは考えにくい」もどちらもウィキペディア上では不適切な記述である。「右翼の関係者だと推論するものが多い。ただし他の可能性も指摘されている」という方向でまとめるのが正しい書き方である。前バージョンはこういうところが全く出来ていなかった。

このように前バージョンは問題が多すぎ、見かねて修正に乗り出したわけである。

前バージョンの文章とて、誰かの個人ブログの記事やらエッセイやらとして発表されていたのであれば私とて何も文句は言わない。しかし、世界の誰かにとって(いや、限定的なものでなく「日本人の9割方」というようなものでも同じだが)すごく有用で素晴らしい文章であったとしても、ウィキペディアの方針に合わなければウィキペディアからは却下される。当然の話だろう。

たとえば誰かがあらゆる癌をたちどころに治癒する画期的な治療法を発見したとして、その論文を「植物学雑誌」に掲載しようとしたらそれは認められるべきだろうか。ありえない。「素晴らしいご研究ですが、ウチでは載せられません。医学雑誌の方へどうぞ」と間違いなく却下だろう。ここで植物学雑誌を言論を封殺したとか学問の自由を侵害したとか言って騒いだとして、彼・彼女の言い分を尊重すべきだろうか? ありえない。そいつは頭の足りない奴として失笑されて終わりである。


この辺のことは、ウィキペディア上の議論の場で、私は口を酸っぱくして説明した。だが、変更前の文章にこだわった人は、この明白な理屈を頑として受け入れようとしなかった。さらに、件の人は私の記述が右翼関係を偏重しているなどと批判していたが、私に言わせれば彼こそ「真犯人」を右翼以外に誘導しようとしていた。上記のように、これは世間の実態と異なり、中立性に欠ける編集姿勢である。このように、ウィキペディアの方針を尊重しようとしないのだから、ウィキペディア上から追い出されるのは仕方のない話である。件のブロックでは、「考えの違う人」ではなく、「ルールを守ろうとしなかった人」が排除されたに過ぎない。これを言論封殺などと思えるのは頭の足りない奴だけであろう。なぜこんな簡単なことが理解できないのかが私には理解できない。

私が記事の修正を図ったのは、当該事件について、偏りなくその重要性を理解してもらえるようにするためである。 ついでに当ブログの過去記事も見れば、この「なまくらな日々」なるブログがいかに間の抜けた偏見を開陳しているものか、よりよく理解できるだろう。メディアリテラシーが聞いて呆れるわ。

[2015年2月28日追記] 7ヶ月経過したが、問題のブログ側からは何の音沙汰もなく、当方を不当に言論弾圧者呼ばわりした記事を今も掲載し続けている。このブログ、いろんな政治家などの不正を糺す系の記事をたくさんアップしているが、この状況を考えれば、それらの信ぴょう性は大幅に割り引いて評価すべきであろう。今からでも遅くはない。まずは自らの襟を正す姿勢を見せてもらいたいものである。

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>kojidoiさん

 本文冒頭に書いておりますように、転載した文章ですので、勿論、文責は私にありますが、情報を頂いた方に反論の仲介をする旨、お伝えしましたので、届き次第、アップします。

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このページは、kojidoiが2014年7月22日 22:51に書いたブログ記事です。

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