簡単に矛盾を炙り出しておこう。
http://ch.kitaguni.tv/u/6508/%c0%af%bc%a3/%c0%ef%c1%e8%c0%d5%c7%a4/0000134154.html における野良猫氏のコメントを採録。
再度、「フィクションと史実は別物」とお答えしておきます。その上で車輪さんの見解にも頷けるものがあります。この問題は、描写された南京事件による「東京裁判史観」へも繋がっています。歴史認識に関わる宣伝戦という視点から見れば、車輪さんの見解にも一理あります。特別に賛成はしませんが「アホ丸出し」と考えずに理解できるのです。 作品論以外でフィクションと史実の差に口出しするくらいなら、別のblogで「行殺☆新撰組」を薦めたりしませんよ(笑)。といっておきながら、下のほうへ行くと次のようになる。
シベリア抑留を題材に描く際に映画や写真を史料にするのと、見解が未だに分かれる「南京」という題材でニセ写真を意図的に書き換えて利用するのは別物です。ファンタジーならそれでも構わないが、「所詮フィクションですから」と言い訳にするくらいなら、最初から史実を舞台にするべきではないと思いますね。それでは仮想戦記ジャンルと変わらなくなってしまう。 だったら、「俺は南京大虐殺はあったと確信した上で、主人公たちの演出に必要不可欠だったから描いた。だから右翼連中の抗議などに屈せず、最後まで描きあげる!」と言ってくれた方が、まだマシだったでしょう。明白な矛盾。 フィクションと史実は別なのか、それとも前者は後者に従うべきなのか。いったいどっちなんだよ。
次はこんなのも。
東京裁判でも「避難が進み20万人しか居ない人口で30万人虐殺が可能か」という疑問が提示され、強姦などの証言は39件にのぼったが、伝聞情報ばかりで直接見た者は居ない。わずかに一件の目撃情報は、占領間もない南京で、日本兵の誰何を振り切って逃走した中国人が射殺されたというもの。これも「虐殺」とは言い難い。 例の「百人斬り」の場合も、砲兵の隊長や大隊副官が単身陣地に斬り込んだという新聞記事が証拠物件として死刑になった。捕虜を縛り付けてなで斬りにしたというのは、ごく最近になって左翼リベラル層から出た反論に過ぎません。百人ぎりの「自白証言」については、確か証言は信用できないとか書いていたはず。それならば、ここでの証言者が見たものを「見ていない」と主張している可能性も疑わねば公正でない。さもなくば後者が真実を語っていると無理なく推察するに足りる根拠を提示するべきである。
また、百人斬否定論者の言う「刀は連続して人を斬れない」論や「すえぎり不可能」論については、ここ北国の論争でも再反論が紹介され、具体的な根拠(江戸時代から伝わる業物の刀が軍刀に多数仕立てなおされて使われていたとか、戦意高揚のイベントに軍も組織だってサポートしていたとか)があげられていたが、こちらは見えないふりのようだ。他人には資料にあたれあたれと五月蝿いくせに、この体たらくはどうしたことであろう。ここにも姿勢の矛盾があるねえ。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-10-20)
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