余丁町散人さんは私がblogへ進出するきっかけを作ってくれた方である。
余丁町散人(橋本尚幸)さん の名前をはじめて知ったのは、今は亡き(あるって)fjの政治・社会系の話題を扱うところ(fj.soc.politics)だった。電波の入った歪んだ主張を繰り返す者が多数出入りして質の低下が著しかったこのニュースグループにおいて、きわめて論理的な記事を投稿される数少ない投稿者だった。
余丁町散人(橋本尚幸)さん は経済の専門家であり、商社マンとしての長い経験をお持ちの方である。その知識を踏まえた記事は極めて示唆的だった。私は経済には高校時代から苦手意識があったのだが、自然科学系の研究者の端くれである自分のような人間でも「自己責任」社会における生活防衛のために多少は経済のことを学ばねばと思っていたころだった。そんなわけで私は氏の運営する掲示板に出入りするようになったのだった。
そんなある日、こんな面白いものを見つけたといって氏が始められたのが ブログ だったのだ。私は当時ブログのブの字も知らず、話を聞いても「なんだ、またぞろ見てくれに拘るマックユーザーの好きそうな唯の掲示板かよ」というような感じであまりピンと来なかったのだが、 余丁町散人(橋本尚幸)さん は、猛烈な勢いでありとあらゆる話題をブログで発信し始め、あれよあれよというまに人気ブロガーになってしまわれた。
さすがに鈍い私もブログのハウツー本など買う気になったりして、そんな話を掲示板で交わしているうちに、私もひとつやってみようかという気にさせられたのだった。
余丁町散人(橋本尚幸)さん がその際に薦めてくださったのが 北国tv だったのである。以来、いくつかの他のブログサービスに浮気しながらも、私のメインサイトは北国TVであり続けている。
余丁町散人(橋本尚幸)さん の守備範囲は広い。経済・政治・自動車・ガーデニング・永井荷風・新宿・マック。また、 余丁町散人(橋本尚幸)さん は神戸のご出身で、あの 阪神淡路大震災に巻き込まれ 、倒壊した実家の瓦礫の下敷きになって九死に一生を得た体験もお持ちだ。
余丁町散人(橋本尚幸)さん のブログをさらに有名にしたのが、イラク人質事件が勃発した時に ルモンドのボンズ特派員が書いた記事の邦訳 だろう。自慢するが、このフランス語記事の存在を氏にお教えし邦訳とブログ化をけしかけたのは この私 である。
その 余丁町散人(橋本尚幸)さん が困っておられる。勇気あることに本名も住所も素顔も素通しでネット活動を継続しておられる 余丁町散人(橋本尚幸)さん の存在を妬ましく思うネットウヨどもが姑息な中傷活動を展開しているらしいのである。そこで、ここにささやかながらカウンターアクションを展開することにした。目利きの方はお気づきだろうが、このエントリーは露骨にSEO対策を施している。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-04-13)
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