ネットの外という非現実世界

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インターネットと「実社会」とを対比して、前者が後者の持つ何かを欠かした不完全な世界であるとする認識は根強く定着しているようだ。

http://ch01411.kitaguni.tv/e371521.html

「ネット上の書き込みや作品は、ネットの外側にだけ住んでいる人には意味を持たないんですよ。ネットの外側の世界が、現実の世界なんだから。プロの作家は、雑誌に掲載されたり、書籍として出版されることで、世に認められるし、評価も受ける。だから、僕はネットの内側で文章を書いている人を認めませんね」

まあ各個人が何に価値を置こうが自由なのだが、少し発想を転換を図ったほうが幸せになれる可能性が高いのではないかと思わないでもないのも確かだともいえなくもないのである。

このJun Rajini さんの記事に登場する「Aさん」がこだわるところの「現実の世界」とインターネットの違いってなんだろう。

ネットでも人と人とのコミュニケーションはちゃんと成立しているのだから、これとて立派に「現実」なのである。逆に、彼の言う「現実の世界」における評価とか「認められる」というのだって「文壇の外」にいる人からみれば、彼の見るネットと同程度には「非現実的」で「無意味」なものに過ぎないのではないか。

そもそも「現実世界」における評価がそれほど当てになるものなのかという疑問も成立しうる。文庫の「夜のピクニック」の解説で池上冬樹が痛烈に批判していたことだが、今の文学賞の講評にはかなりズレているものが少なくない。バトル・ロワイヤルは明らかに選考委員たちにその本質を理解されていなかった。しかし勇気ある出版社がそれを出版したとたん、その本質と魅力を理解した多くの読者がそれを絶大に支持したのである。

それでもまだ現実という名の非現実に拘るのだろうか?

私だったら逆に、Aさんには食わず嫌いはやめてブログをやってみなさいと勧めますね。

今ケータイ小説はかなりの盛り上がりを見せているというが、担い手はやはり10代の若者に偏り、小説のできばえも良くも悪くも従来の小説とは「違う」ものであるようである。だが、そのシステムだけ借りて私小説やら純文学バリバリのケータイ小説を量産する団塊のおじいさんがそろそろ出てきてもいいはずである。

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このページは、kojidoiが2007年5月 2日 01:05に書いたブログ記事です。

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