サマータイム:やっぱり意味ないんじゃないか?

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大前研一氏がサマータイム推進の論陣を張っているが、こんな穴だらけの主張では反対派をとうてい説得できないだろう。

http://weblogs.nikkeibp.co.jp/topics/2008/07/73-109f.html


わたしがサマータイムを推進する理由の一つに、日本には変化が乏しすぎることを挙げたい。サマータイムという制度を導入し従来の生活のサイクルを変えてみることも、いい刺激になると考える。先般、当連載で解説した道州制の導入も、日本に大きな変化をもたらすきっかけになることだ。日本はそういう大きな変化を経験したほうがよい。

まずは変化をという考え方は私も嫌いではない。というか大いにそうあるべきだと思う。ここまではいいのだ。

だが、ここでちょっと待ってくれ。ここ数年の間に日本は立派に大きな変化を経験しているじゃないか。

なんといっても雇用の流動化だ。時計の針を進めるとか遅らすとかいう表面的な話ではなく、人生設計に大きな影響をもたらす変化だ。大変化である。その「変化」を「とりあえず」経験した日本が今どうなっているか、くどくど言うこともあるまい。この変化によって、一部の論者が主張していたように再チャレンジがしやすい世の中になったかといえば、とてもそうはいえない。流動化によって好きな生き方を選択できるようになったはずだが、その目論見どおりにいい思いができたのは一握りの幸運な人たちだけだ。ワーキングプア問題が顕在化し、いったん正社員の身分を捨てたり、あるいは最初からその身分を得られなかった人はずっと割を食ったままであり続けている。なにが再チャレンジか。「良くなかった点はこれから直していけばいいじゃん」などと、のほほんと言い放っていられる状況ではない。

そうなるかも「しれない」というだけで、その中身やメリットを精査せずむやみに反対するのは、立派な思考停止であることを最後に強調しておきたいと思う。

正体不明の「大きな変化」を十分な検討もなくそう簡単に受け入れられるものか。その点で大前氏の主張は説得力をまったく欠いている。失敗した場合のリスクが充分大きく想定される場合は、その試験の実施に慎重になるのは全く合理的な話である。大前氏が本当に反対派・慎重派を説得したいのなら、このリスク評価について正面から堂々と論じるべきだ。それをやらないのであれば、立派な思考停止との評価は逆に大前氏の方に跳ね返ってくることになる。

わたしにとって一番説得力があるのは、「夏になると4時から太陽が昇っているのにあなたは6時に起きていますね。陽が昇ってから2時間も寝ているのはもったいない。むしろ陽が昇ってから1時間で起きるというのはどうですか?」という理屈だ。夜は7時に暗くなるのが、サマータイムでは8時ということになる。

単に各企業がオフィスアワーを9時から8時にずらすというだけで充分に対応可能であり、そのほうが無駄なコストがかからず合理的だという反論にこれでは抗しようがあるまい。
これについては、トラックバック先にあった以下の意見のほうが百万倍説得力がある。


http://netscrander.com/archives/nomore_summertime.php


みずほフィナンシャルグループや・日本経団連事務局が、2007年8月に限定的にサマータイムを導入していたようですね。

 で、その結果が発表されていないようなんですが、結局どんなメリット・デメリットがあったのでしょうか? そこをはっきりとさせて欲しいところ。

 そもそもフレックスタイム制が徹底できればサマータイムなんて必要なくない?
 日が高い内に帰宅してプライベートタイムを充実させたいって人は今までより1時間早く出社して1時間早く退社する、生活リズムを変えたくない人は今まで通り出退社する。
それでいいんじゃない。

少なくとも、経団連にはその実験の結果を公表し第三者の査証に供する社会的責任があるのではないだろうか。

いずれにせよ、「定時」で仕事をしている部署以外には関係ない話だろう。いわれなくても農業・漁業関係者は時計ではなく太陽に合わせて仕事をしている。大学院生は太陽が高かろうが低かろうが昼過ぎまで寝坊して夜中まで実験している。スーパーやコンビには24時間いつでも開いている。定時が存在するはずの多くの会社や役場でも夜中まで残業を余儀なくされている人はたくさんいる。

そんな中、全体を巻き込んで時計を無理やり調整してみたところで、時計の主張する昼夜の違いを今の日本は区別する流儀をとっていないのだから意味あるはずがない。サマータイムだろうがウィンタータイムだろうが実効性を期待できる余地がどこにもないのだ。これはわざわざやってみるまでもなく自明であると断言しよう。

一昨年訪れたオーストラリアのアデレードは明らかに日本とは街の様子が違っていた。午後4時半になると、商店街の物販系の店はいっせいにシャッターを下ろし始めるのである。5時になるとごく一部のスーパーを除いて買い物は不可能となる。入れ替わりにレストランや居酒屋が営業を始める。酒を飲ませる店はそれまでは逆に一軒も開いてない。もう街全体がひとつの時間軸に厳密に従っている。そういうところであればサマータイムのような手法も一定の効果が期待できるのだろう。そういった国情の違いを無視して「海外では問題は出てない」などとは論理の飛躍もいいところである。

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このページは、kojidoiが2008年7月 5日 16:06に書いたブログ記事です。

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