「朝日新聞をたたかなければならない。なぜなら、そこに朝日新聞があるから」
という 使命感だかなんだかにとりつかれた人々がネット掲示板には 吸い寄せられるようだ。
そんな彼らを観察する第二弾。
前記事 で書いた
彼氏の中では朝日は無条件に「否定されなければならない存在」なのだ。 |
無条件にだ。実際にどんな記事が掲載されている/居ないは関係ない。 |
彼の典型的投稿パターンをよくあらわしているのが この記事 だ。彼は、朝日が自分に都合の悪い記事をwebから見えないようにして保身を図っていると批判しているが、このあと土井や何人かの投稿者が指摘しているように、それは事実ではない。さすがにあとで、 しぶしぶ誤りを認めている が、なお「不作為の過失」だと強弁しているところに着目しよう。実際には彼は「朝日が記事を載せないのは」と書いており、「なかったとはいっていない」との言い訳は通らないのだが。
実は、朝日の記事を見逃していたというのたいしたことではない。それより、その実在しない「載せない記事」に立脚した「専らの説」とやらをでっち上げているところが問題なのである。
語るにおちるとはこのこと。
彼には自分自身が事実を捻じ曲げて解釈したなどという意識はかけらもないのだろう。既に「トリガーは引かれてしまっている」のだ。ここでのトリガーは真紀子発言だ。これは朝日がなにか反応しているに違いないとの連想が生まれる。朝日が登場したこの時点で彼の論理回路は停止する。あとはフェロモンを受け取ったミツバチよろしく予め定められたプログラムに従って突っ走るだけ。ここでは朝日の記事に問題はないかもしれないなどという可能性は彼の脳裏に掠めもしない。彼の信奉する経典にはそんなことは書いてないからだ。
S氏のことはこれぐらいにして、別の投稿者をウォッチしてみよう。
H氏は朝日新聞の 「マッチポンプ」ぶりを批判している。
だが、ここで批判の論拠としている事柄は、明らかに朝日新聞以外のメディアにも当てはまることばかりであり、それは 本人自身認めている もっともH氏は朝日が特別問題だとする具体的論拠らしいものも挙げてはいたのだが、それとて上の記事で「トルシエ解任騒動」の件しかちゃんとチェックはしていないことを自白している。
にもかかわらず、結論は朝日新聞だけが悪者なのだ。
この人は基本的にはよくバランスの取れたリーズナブルな記事を書く人なのである。にもかかわらず朝日批判になると、とたんに論理が破綻し出す。宗教の恐ろしさを認識せずにはいられない。まあH氏の場合そのへんのアンバランスさを自ら認識しているだけ、まだ救いがある。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2003-11-10)
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