「遺伝子組み替え食品は安全か?」 この究極の問について考えてみよう。
余丁町散人さんが冴えたエントリーを公開しておられる。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E1092746732/
でも「コストとのトレード・オフ」という概念を理解していない人や組織がとても多い。「絶対に間違いは許されない」とかいって限りなく仕事を増やしていくのだ。
ただ、こと安全がからむとすべての行為が正当化されるとの風潮がある。それに疑問を呈すると非国民扱いされるのだ。これこそまさに、遺伝子組み替え食品をめぐる病理の根幹をなしているのである。 ここ に書いた騒動も明らかにこの延長線上にある。
遺伝子組み替え食品に反対な人は、遺伝子組み替え食品に100%の安全性を要求する。それは無理難題というものだ。どんなに「毒性は見つかりませんでした」といっても、それは「見落とし」の可能性を完全に排除したことにはならない。
科学者はそうした論理をよく知っているし、なまじネガティブな結論を実験で実証することの困難さをよく知っているものだから、「本当に危険はないんですか?」と言い募られたら「完全に否定は出来ない」とつい正直に答えてしまう。かくして……
だが、ちょっと考えてみれば、こうした問答がダブルスタンダードにもとづいた見当外れなものであることが分かるはずなのだ。人は一般の野菜にそこまでの安全性証明を要求しているか? 実績があるから平気? でもキーウィとかアボガドとか、もともと日本になかった食い物を皆食ってるよね? 10年後にとんでもないアレルギーが発覚する心配をしなくていいの? 従来の食品で、過去このような議論がなされ「100%の安全性」が証明された例を私は知らない。
ついでにいっておくと、最近のさまざまな研究から、過去の生物進化の過程において種の壁を超えて遺伝子があちこち移動してきたことが分かってきている。この意味で、遺伝子組み替えが「過去に類例がない」とか「自然の摂理に反する」とか「生命の尊厳を冒している」とかいう批判はすべて見当違いである。
さて、人々は古来から未知の食べ物を色々食ってきた。これからもそうだろう。そういうものだ。そうして何万年も人類は世界中で生活しつづけている。これからも当分そうするだろう。
結局のところ反対派の連中は、散歩中に隕石が脳天を直撃して死んでしまう危険性を声高に宣伝しているようなものだ。その言い草を信じて部屋に閉じこもっているのはバカみたいである。
トレードオフを考える、もうすこしありがちな表現を使えば、「バランス感覚」を養うことが必要なのだ。 せめてこのエントリーをお読みのあなたには、そのような努力を怠らず、まちがっても「遺伝子組み替え食品いらない!キャンペーン」 のような馬鹿げた宗教集団の妄言に騙されたりせぬよう精進されることを切に望む。
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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-02-20)
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