私のエントリーがそこまでストレスを与えていたとは、申し訳ないことでした。けっして「切り捨てた」つもりなどなかったのですが……
http://ch.kitaguni.tv/u/4568/blog%a4%c7%bd%d0%b2%f1%a4%c3%a4%bf%b0%d5%b8%ab/0000071153.html
1) 夫婦別姓待望論に立つ人からは、自分のような立場の者は「夫婦別姓批判派」の人間としてしか認識されない、と分かったコト。 2) 自分の懸念している、別姓導入時の混乱ってヤツは、一度通称使用が公的にOKになってしまえば案外少なくて済みそう、と思えたコト。
これは冗談でもネタでもないのですが、私は自分を「夫婦別姓批判派」だと思ったことは1度もありません。それは当初から理解しているつもりです。別姓批判派が論拠とする話と共通する要素があったので、それを材料に別姓批判派を批判したのだ……ということを前置きして書き始めたつもりだったのが、理解していただけなかったようで残念です。
実は私も自分のことを夫婦別姓待望論者だなどと思ったことはありません。それに私も「別姓でないことの不利益を受けていない人間」の一人です。だいたいからして独身者だし結婚する予定も意欲も全くないのだから。
ではなぜここまでこの話題をくどくど引っ張っているかといえば、
- 私は論理のとおらない話は嫌いだ。
- 通っていない論理を人に押し付ける奴はもっと嫌いだ。
論理の通らない話とは
- 家族の一体感というのがまずわからない。だれか一体感を定義してほしい。その定義の元で、たとえばイソノナミヘイとフグタサザエの間に「一体感」は存在しないのか、しえないのかを説明して欲しい。
- 子供が親と別の姓を名乗ることで困るシチュエーションというのが想像できない。正直見当がつかないと書いたのは、文字通り、見当がつかない(切り捨てたつもりはないぞ)。
- そもそも通称とはなんだ?
「通称使用なんだから家庭では戸籍上の姓で通すだろう。」と、特に根拠も無く思っていました。いわゆる別姓絶対反対派の人間も恐らくそうでしょう。が、家庭において、子供の前においても通称で通す人は確かに一定数いるはずです。ここにいたってやっと気付いたのですが、もしそうなら「全員同姓でない家庭」が普通に存在する状況ってのは、思ったよりすぐにやってくる可能性が高そうです。このへんに感覚のズレがあるのかもしれない。これを読んで「えっ?」と思ったわけです。ふつう家庭では互いをファーストネームで呼び合うもので戸籍名だろうが通称だろうが苗字の出る幕なんてないでしょ、と私は考えるわけです。 実はそうではないのでしょうか。 まあ、あの老政治家の家庭ではフルネームなのかもしれませんな、晩飯ができて書斎に呼びに行くときでも「中曽根康弘君」とか話し掛けてるのかもしれない。
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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-04-15)
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