面白いフレーズを見つけたのでクリップ。
http://www.sk-jp.com/mt/philosophical/archives/2004_06/29_235605.html
「ジョーシキ」が多数決論理であることは自明ですが、ジョーシキという言葉の使われ方の実態は、「さっと思い浮かべて同意見の知人が二人以上思い浮かぶ」程度ではないかと思っています。大抵の人はその母集合の偏りには頭が回っていません。「みんなってアンタと、あと誰?」というフレーズは使えそうだ。覚えとこう。
さて、「ジョーシキ」と「常識」、「一般的な価値」と「個人的な価値」の違いを述べているが、これらの違いは、多数決をとった母集団の質の違いでしかないと思う。人が「常識」を振り回す多くの場合、その母集団はたいてい主張者の期待よりも激しく小さい。「人類全体」とか「日本人全体」であることはまずなく、ゆえに世に氾濫する常識はいくら「普遍的」なようにみえても実のところローカルルールに過ぎない。「人を殺してはいけない」でさえ「一般的な価値」ではないことはイラクやイスラエルを見れば明らかだろう。
その母集団が極端に偏っている(実は母集団には主張者一人しか含まれていないということだって珍しくはない)場合の常識が、shinさんのいう「ジョーシキ」だということ。
常識を主張の論拠にすること自体はかまわないと思うが(そうでないと何事を議論するにも時間がかかってしまう)、その際には統計学の教えるとおり母集団の質をきちんと検証しておけということだ。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-07-19)
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