結論。物理学が専門の江崎氏には生物学の奥深さが理解できていないようだ。いちおう生物学研究の末席に連なるものとしてこれだけは指摘しておきたい。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040729/mng_____tokuho__000.shtml
より。
この発言の重さは単に毛利氏個人の考えでないところにある。二〇〇〇年に教基法「改正」の答申をした首相の私的諮問機関、教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は同年、ジャーナリスト斎藤貴男氏のインタビューにこう答えた。 「遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。(中略)いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」(『機会不平等』文春文庫)遺伝情報が解析されたといっても、表に出てくる人の「能力」にそう簡単に関連付けられるものではない。 今はようやっと文字列の並びがわかっただけのことだ。 ヒト同士、あるいは近縁の生物との比較で同じとか違うとかをいうことは確かに出来るが、そこまでだ。
キリル文字の発音を学べばロシア語の文章を音読することは出来るが、それで意味が理解できるわけではない。また、ロシア語の文章なら少なくともスペースを頼りに文を単語に分解することぐらいは出来るが、ヒトゲノム情報ではそこすらまだまだ怪しいのだ。そもそも「単語」にあたるもの、すなわち遺伝子のなんたるかすらよく解っていない。
これは単に解析技術の未発達という問題ではない。
遺伝子というのは、文章の単語のように絶対普遍の存在ではない。どうも読み方そのものが状況に応じて変化するらしく、あるときには句読点として使われた記号が別のある時には単語の一部として使われるということが普通に行われているらしいのだ。
こんな状況で、本当に遺伝情報を「能力」に関連付けられるものだろうか。私は本質的に無理だと思う。
つぎにここでいう「能力」をどう評価するのかという問題がある。知能検査レベルで形態知覚能力や論理構成能力を一応数値化することは出来る。だが、それらは学習によってどんどん変化しうるものであるし、「実務能力」と1:1対応するものではないことは誰にでもわかるだろう。
結局のところ、今我々が行なっている人物評価以上のことを知るのにゲノム情報は殆ど役に立たないと思われる。江崎氏の言っていることは机上の空論である。
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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-08-01)
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