想像してみてもらいたい。
あなたはそれなりの社会的な地位と幸せな家庭をもつ善良な市民。ところがある日突然、敵の工作員と決め付けられ周り中から命を狙われることになる。
彼らが言うところでは、敵は貴方そっくりのクローンを作って本物の貴方と摩り替え、破壊工作をさせる計画であるという。あなたはクローン技術で作り出された偽者だと思われているのだ。
もちろん貴方に心当たりはない。俺は俺だ! いつもと同じ今日という日の生活をいつものように始めただけだ! まがうことなき本物の俺に決まっている!
だがどうあっても信じてもらえない。クローンは本物と寸分たがわぬ肉体を持ち記憶も完璧にコピーされているため、計画を実行に移すその瞬間までは自分こそ本物だと信じて疑わないのだという。
こんな目にあったらあなたはどうする?
私はこの小説を中学生のころに読んだ。どこかのSF短編集に収録されていて、学校の図書室に並んでいたのを借りて読んだのだ。当時はSFに狂っていて、図書室にあるSF全集の類は一冊残らず読んだ。なかでも痛烈な印象が残っていたのがこの作品。ここでは書かないが、なにしろ結末のどんでん返しが衝撃的なのだ。お年頃の私の琴線に触れないわけがなかった。いったい「自分」とはなんだろう? 肉体と記憶が同一であるふたりの人間が居たとして、「本人」としての権利を得ることが出来るのはどちらなのだろうか?
しかし、大学に入ってからこのSF小説を再読したいと思った時には作者も題名も忘れてしまっていて、読めぬまま現在に至っていた。
ところが今月の初めにテレビで放映された映画「クローン」をこの週末に見て、この長年の問題が思いがけなく解決することになった。これこそが私が捜し求めていた小説を映画化したものだったのだ。この情報を手繰っていくことにより、小説の正確な情報が手に入った。
トータル・リコール、ブレードランナー、マイノリティ・リポートなどの映画の原作者としても知られるアメリカのSF作家、 フィリップ・K・ディック の短編作品「偽者」。
googleを駆使して調べてみると、「偽者」はハヤカワSF文庫の 『パーキー・パットの日々 : ディック傑作集1』 に収録されていることが分かった。もう早速注文である。
なお映画「クローン」のほうは近いうちにDVDが出るそうで(それでTVで放映したのだろうか?)こちらも amazonで予約受付中 (クローンIMPOSTOR) であるようだ。
ただ、冷静に考えてみるとやはりあの結末には無理がある。私が「敵」の立場ならあんな決定的証拠をそのまま放置しておくなど有り得ない。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-11-23)
コメントする