先般わたしのエントリーにコメントを残していった自称百姓氏の主張をみて いろいろ考えていたのだが、まあいい機会だから良く見かけるキーワードについて勉強してみることにした。
有機農法。自然農法。そして、食育教育と地産地消。その筋の人が大好きなキーワードである。
有機農法の定義は百家争鳴で、調べれば調べるほど訳がわからなくなってくる。ようするに完全にコンセンサスを得た定義はないといってよさそうだ。しかし、自然農法のほうはそれよりは明確であるようだ。 wikipedeaの記事 によれば、「種を撒いて取り入れるだけの農法で、耕さず、肥料をやらず、除草もせずに作物を育てる」のだそうだ。事実とすれば素晴らしい。いいこと尽くめだ。だが、そううまくいくのか? なんだか話がうますぎて信じがたい。
google検索でトップにヒットしたのが 自然農法国際研究開発センター のページであった。それによれば、あるべき自然農法とは、
1.人間の健康を維持促進する食べ物を生産すること。 |
2.生産者と消費者の双方に経済的・精神的メリットがあること。 |
3.誰にでも実行でき、かつ永続性があること。 |
4.自然を尊重し環境保全に責任を持つこと。 |
5.人口の増加に伴う食糧生産に責任を持つこと。 |
素晴らしいコンセプトだ。
だが、本当に可能なのか? 「自然の力を信じて」ほったらかしにしておいても育つ植物は確かに育つだろう。きっと家庭菜園ならそれでカッコがつく。だが本当に「人口の増加に伴う食糧生産に責任」を持てるのだろうか? そもそも現在多くの農家が化学肥料や農薬に頼っているのは何故か? そうしなければやっていけないからそのようになり現在に至っているはずだ。その根本の問題がなくならない限り、「非自然な農業」の需要はなくならないはずだ。彼らのホームページを見ていても理念ばかりでその辺の現実認識がどうなっているのかが見えてこない。
しばらく前の月刊アスキーの「ってこんな仕事」という連載で、有機農法を実践する人の話が出ていた。それはもう堆肥のメンテナンスや害虫退治に半端ではない労力を投じているのだった。単位収穫量あたりの人的コストはどれぐらいにつくのだろう。数字は分からないが、相当高くつくに違いない。だからこそ、「こだわりの有機野菜」は少量をホームページなどで細々としか販売できないのだろう。それで満足している当事者たちはそれでいい。だが、東京都民1200万人が全員そんなものを欲し始めたら、まず間違いなくそんなものは破綻するだろう。破綻していないのは、有機農法や自然農法が現実には「異端」に過ぎないからだと思う。
そこで地産地消という概念が登場する。要するに地域で作ってその場で消費するのだそうだ。これなら大量生産しなくてもいいでしょ、という論理らしい。これなら有機農法も自然農法も大手を振って実践できるというものだ。
全く素晴らしい。長野県人は海魚を食うなって言うんですか? 沖縄県人は昆布を食うなって言うんですか? 北海道人はミカンを食うなって言うんですか? そして東京などの都市はどうなる。全部つぶして、中国の文化大革命のときの「下放」みたく、全住民を田舎に強制疎開させる気かね。
あほくさい。そんなことできるわけない。
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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-11-28)
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