私が文部科学大臣なら、この本を政府推薦として全国民に読書感想文を書かせたいとか言ってみる。
たとえば
- 最近少年犯罪の凶悪化・多発化が著しい。
- 少子化が子供をダメにする。
- 若者の読書離れが深刻だ。
特に、戦後直後から現在にいたる犯罪統計のグラフを参照してむしろ少年犯罪は昔よりへっていることを指摘し、ついでに、少年犯罪の原因を食べ物やテレビゲームに求める説もバッサリ切り捨てていく下りは痛快だ。本書はwebサイト上のコンテンツを改稿したものなので、オリジナルをまず読んでみることを勧める。 URLはこちらだ。
もっともそういう著者自身の主張も情報操作の結果かもよ、という趣旨のことを webサイト の方で遠まわしに示唆していることも見逃してはなるまい。要は、「ううんそうだったのか、今の若者は悪くないんだ!」とかいうレベルで納得するのではなく、世の中の「もっともらしい主張」がいかに実はもっともらしくない論理で作られうるのかを理解せよということなのだろう。それにしても、豊富なデータのタイミングよい提示。適度なギャグと皮肉。読み物としても実に完成度が高い。こういう文章を書けるようになりたいものである。
私が特に強く膝をたたいた箇所をいくつか引用しておきたい。
悲観主義者というのは、ひきょうなんです。悪いことが起こるぞお、さあ困った大変だ、と警鐘を鳴らしておけば、もし実際に悪い結果になった場合、「ホラ、いわんこっちゃない」と自分の先見の明を鼻にかけることができます。予想に反してよい結果に落ち着いたら、「いやあ、杷憂だったねえ。でもまあ、備えあれば憂いなしともいうでしょ。私の警告もムダではなかったよね」と前向き思考でちゃっかりと喜びを分かちあおうとします。どっちに転んでも自分が傷つくことはありません。拉致家族問題に関して共産党を叩くネットウヨたちを髣髴とさせる。そうそう、遺伝子組み換え食物反対の頑迷な論客たちも、沐浴の後正座して拝読すべし。ところが楽観主義者は、そうはいきません。良い結果になればみんな喜んでくれるのですが、もしも悪い結果が出た場合、ウソつき呼ばわりされ、クソミソに叩かれます。つまり、楽観主義者は自分の意見に責任を負わざるをえないのですが、悲観主義者は常に逃げ道を確保しているズルい人たちなのです。
「自立している」人など、どこにもいやしません。世界中の誰もが誰かに依存して成り立っているのが現代社会です。他人に迷惑をかけずに生きることなどできません。自立の鬼は、自立という幻想を喰らって太る妖怪です。イラク人質事件以後の自己責任論を思い出させる。この議論をあおっている者たちが暗に求めている「結果」とはなにか? 2005年の重要な問題の一つだろう。「やればできる」は努力を勧めているようで、じつは暗に結果を求めています。教育者たるもの、そんなウソを教えてはいけません。「できなくてもいいから、やってみろ。それでダメなら生活保護があるさ」と教えるのが本当の教育者です。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-12-29)
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