青色LED訴訟の話。確かに画期的な発明を成した人は優遇されていいと思う。特別ボーナスが数万円なんてんじゃ話にならないだろう。だが、中村氏はそろそろ満足すべきだ。
http://www.asahi.com/national/update/0111/013.html
朝日新聞の取材に対して見解を寄せた中村教授は「日本では、もう技術者たちは仕事をする意欲がなくなるのではないか」と失望を隠さなかった。総額8億円だぜ。現在の感覚からすれば個人でゲットする金としては相当でかいぜ。年1000万円づつ消費していったとして 80年 かかるんだぜ。1年前に東京地裁判決が、空前の200億円の支払いを命じた際、中村教授は「技術者もイチローや松井秀喜に負けない報酬を得られることが証明された」と喜びを爆発させた。しかし、サラリーマン技術者の夢は一気にしぼんだ。
中村教授は和解の場で提示された発明対価について「ダイオード関連の特許だけでなく、私が発明した多数の特許を全部含めてたったの6億円」と強い不満を示した。
充分評価してもらえたといっていい金額じゃないのか?
それでも「こんな金額じゃやる気が出ない」とおっしゃる。いったいこの中村氏の価値観ってなんなんだろうな。
確かに氏は大きな貢献をしたのだろうし、青色LEDの可能性には極めて大きなものがある。 でも、その実用化は彼一人だけのスタンドプレーのみで実現したわけではあるまい。研究や開発というものはそうそう個人の手におえるものではない。実際には周囲の人の無数の「目に見えない貢献」が下地になっているはず。
そして、会社の財布の大きさには上限がある。ということは、彼一人の業績のみをことさら大きく評価することは、周囲の「目に見えない成果」を出した人を干す結果に繋がるわけだ。そして、「目に見える成果」を出せる人は常に全体の中のほんの一握りの人でしかありえない。圧倒的多数の人は、「負け組」に入ることを余儀なくされるのだ。絶え間なく努力し貢献もしているにもかかわらずだ。そんな状況が労働者にとって「希望が持てる状況」なのだろうか?
中村氏は良くも悪くも「強い人」である。自分が常に「勝組」に居残りつづけられることを微塵も疑ってはいないのだろう。だが、彼の論理は「強者の論理」であって、必ずしも普通の人々に通用するものではない。
成果主義が悪いとはいわない。だから彼はそれなりに大きな経済的な見返りを期待する権利があるとは思う。昨年、例の200億円判決が出たとき、これが技術職・研究職の業績の不当な過小評価を見直すキッカケになってくれればと私は期待し、基本的には喜ばしいことだと思った。
だが、バランスを失うべきではないとも思う。程度問題なのだ。一部の秀才にとってのみ居心地のいいようなシステムは、豪華絢爛に咲き誇る花をつけはするが一方で根はぼろぼろで春一番でも吹けばあっけなく倒壊してしまうような植物をうみだしてしまわないだろうか。そこまで考えると、中村氏にはもうそろそろ結果を受け入れておとなしくなってもらいたいと願わずにはいられないのだ。
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1月15日追記
2001年の段階で書かれた下のエッセイも要チェック。 存亡の危機にある某公立大学の教官が「研究者としての生き方」という点から中村氏を批評しているのだが、実に鋭いポイントをついていると思う。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-01-13)
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