確かに運転士のミスはミスとして批判されてしかるべきだ。しかし、「真犯人」は別に居ると見るべきではないのか。
いろいろボロが出てきた。最高速度120kmのはずの電車が実はやろうとおもえば130km出すことも不可能ではなかったというし、速度超過が頻繁だったどころか「常識だった」とまで言う証言が出てきた。その理由が新聞報道には二つ挙げられているのだが……。
http://www2.asahi.com/special/050425/OSK200504290016.html
●ペナルティー 厳しい「教育」、自殺者も日勤教育は、電車の遅れなど問題となった状況を振り返り、原因を考えるリポートを、電車区の区長や助役が勤務する部屋の一角で書かせるものだ。リポートだけでなく、草むしりや窓ふき、ペンキ塗りの作業まである。
耐えきれず、01年に自殺した男性運転士(当時44)もいる。その運転士が日勤教育を受けさせられた理由は、京都駅で約50秒、発車が遅れたというものだった。
判決の認定によると、日勤教育の間は、月額約10万円の乗務手当が支給されず、収入が減る。終了の判断は区長の裁量に委ねられるため、本人にはいつ終わるか分からないという。
男性は1日に7本ものリポートを書かされ、「給料をもらって勉強しているのでしょう」と助役に言われたという。4日目には休暇を取り、自宅で首をつった。あなたが23歳で運転士一年生だったとして、このプレッシャーに耐えて断固として制限速度遵守すると誓えるだろうか。
少なくとも私は自信ない。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-04-29)
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