またバカが釣れたわけだが。
このブログについて を最近書き換えたのだが、早速日本語を解しないバカがこれだ。
頭のよいバカとは貴様のことをいうのだな。どうあっても自分を優位において人を支配したいという欲求に抗することができないようだな。なぜ「ほっとく」ことができないのか。そこには何らかの精神的疾患が隠されているのだ。悪いことはいわん。精神科に行ってカウンセリングを受けろ。私は親切な人間なので無礼な人間にもそれなりのアドバイスはしてあげるのである。知性が足りない、議論慣れしていないがために他者の意見が怖いのなら、人前にでてくるんじゃあない。
ところで議論慣れという言葉についてだが……この概念については複雑な思いを私は持っている。こういっては何だが私はかなり「議論慣れ」している方だと思う。なにしろfjで10年間戦ってきたからな。若かった頃はそれこそ24時間臨戦態勢という感じだった。主戦場はfj.educationとかfj.soc.politicsとかfj.news.usageとかだったな。fj.life.healthとかで遺伝子組み換え食品の安全性とかの「議論」もした。
で、何が残ったのか?
それを考えて、空しくなったのである。
「議論慣れ」して、だから何なのだ。それで俺は得したのか? 論争相手やギャラリーの誰かが、得をしたのか? 肯定的な答えは出てこなかった。いくら意を尽くして議論のキャッチボールを投げかけても、人は自分が信じたいものしか結局のところ信じないんだよ。
かけるコストに対してゲインが少なすぎる。
ということで、議論の好きな「固まった人」を”まともに”相手にするのは止めることにしたのだ。いいたいことは自分のペースで述べた方が効率がいい。これは明らかに効率がいいのだ。
ほんと、議論至上主義者ってのはろくなもんじゃないよ。本当に耳を傾けるべき意見を持っている人は、人を議論とか交流とか「ふれあい」とかの美名のもと人をコントロールしようとはしないものだ。また、「ふれあい」という言葉のうさんくささについては「反社会学講座」をぜひ読むべし。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-07-09)
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