高野山を訪れた。ここではあらゆるものが供養されている。
奈良県を縦断して和歌山県高野山を訪れた。まずは弘法大師が眠る聖地である「奥の院」からである。奥の院の一番奥まったところに弘法大師の墓があるが、そこにいたるエリアが広大な墓地となっており、数十万個もの墓が所狭しと並んでいる。戦国武将の墓もある。豊臣家の墓も織田家の墓も石田光成の墓も明智光秀の墓も全部ある。豊臣家の墓所は中でも広大であった。これに対して織田信長の墓は意外に質素である。
企業が自社社員の物故者を供養するために立てた墓も多数ある。日産自動車の墓には作業服を着た若者二人の銅像が建つ。松下電器工業の墓などは建立から70年経過していい感じに苔むしていて、もはや戦国武将のそれと遜色ないほどの風格をかもし出していた。
写真は「しろあり」の供養塔だ。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-07-10)
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