なにか鶴見人はバナナに異様なこだわりを持っているのだろうか?
先日のイトーヨーカドーに続き、近隣の某ホームセンター内で見つけたのがこれ。またバナナケースだ。そしてバナナスタンド。
「バナナの携帯に!」というキャッチフレーズが泣かせる。バナナとは「携帯」するものなのだ。論理的には間違っているとは言えない。だが、なんだろうこの気合は? 職場に弁当を持ち込むにあたって「俺は毎日弁当箱を携帯している」なんて普通は言わない。普通は「持っていく」だろう。携帯という漢語には、ただ自分の体と一緒に持ち運ぶという異常の情念が込められているはずである。
携帯というと電話だが、これも今でこそ餓鬼でも持ち歩くのが当たり前になったが、その昔は大変な画期的な代物であり、これで1秒たりとも無駄にせずビジネスチャンスをゲットするぞという気合いが込められていた時代が確かにあったのである(初期の携帯電話は肩掛け式で重さが何十キロとあったから、物理的な意味でも持ち運びには気合を要したことだろう)。バナナごときと同列にされたのでは、今もNTTのプレッシャーの元不眠不休で無理難題な新機種開発をさせられている各メーカーの社員は泣くに泣けないだろう。
だいたい、バナナなんて後生大事に「新鮮長持ち」させておくべき食品ではないぞ。さっさと腐らせ、表面に黒い斑点がたくさん現れ、よく見ると2-3匹ショウジョウバエが飛び回っていて、そして皮をむくと微妙に蕩けた個所がいくつかある、そういう状態こそがバナナというのはうまいのであり、さっさとその状態に持って行ってさっさと食うのがリーズナブルな食い方なのである。この意味でも、ケースだのスタンドだの出る幕ではないと思うが、いかがなものだろうか。
それにしても、売れているのだろうか。100円といえど出すかね?
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