町役場の先から海まで、今もがれきの山である。自衛隊や消防、ボランティアの支援も入っているようだが、片付け作業については人数的にはそれほど多くの人が働いているようには見えなかった。片付けが終わるまでにもまだ一月やそこらはかかるであろう感じだ。
駅周辺も、波にのまれて脱線した電車は撤去されたようだが、周囲はやはり瓦礫の山であった。それにしても、千べたに固定したあったはずの線路も根こそぎ消失しているのは驚くべきことである。線路の一部は本来あるべき場所から10メートルほど離れた田んぼのわきにまで流れてきていた。架線の類は跡形もなく、ATSの装置の一部とみられる電柱と箱がこれまた田んぼの中に、住宅から流れ出たらしい色々な物とともに転がっていた。上の写真は、本来なら線路が走っていたはずの地点に立って新地駅の駅舎跡を撮影したものだ。
上の写真はおそらく記事中では一部しか表示されていない。実はパノラマ写真になっているので、右クリックして画像だけを表示させてほしい。撮影現場はこの辺。
この付近の震災前の光景(ドライブ中の車窓の風景の動画)がYoutubeにアップされている。どこにでもありそうな典型的な田舎の街並みである。
上の写真もおそらく記事中では一部しか表示されていない。実はパノラマ写真になっているので、右クリックして画像だけを表示させてほしい。
津波の跡を歩いていると、波がどの方向からどのくらいの高さで到達したのかは素人にもわかる。また、直撃を受けたところと、免れたところの境目がはっきりしているのが驚きだ。
上の写真(撮影地点はここ)では、波が倉庫を押し上げてとんでもないことになっている。この写真の右側には、倒壊こそ免れたものの窓や室内のものが一切流失したアパートなどもある。実はこの建物は町役場と小川を挟んで隣接している。この町役場にはほとんど被害の形跡が見当たらないのである。さらに向かいには農業改良センターなるものがあるが、これも被害はなかったようで被難所として使われていた。
家を流された人たちの打撃は計り知れないが、かろうじて家が残った人たちも複雑な心境であろう。
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