回転扉の事故は誰のせいだったのか

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回転扉は悪者ではない? 一番悪いのは親? さて本当にそうだろうか?

http://www.misia-cafe.com/mt/archives/000624.html

これを機に、一人ひとりが「どの程度のリスクまでを許容すべきなのだろう?」と考えてみるのも重要ではなかろうか?
賛成である。これこそ重要な視点だと思う。

そして、まさにその視点からの評価の結果として、私は回転扉の存在意義を認められない。そして、後述するように危険性を当事者たちが認識していたにもかかわらず実効性ある対策をたてられず、また危険性を広報することもしなかった設計者・メーカー・ビル運用者の責任が最も重いと考える。

1. 回転扉の是非

http://ch.kitaguni.tv/u/1181/%bc%d2%b2%f1/0000065354.html で書いたとおり、回転扉には設計者・ビル管理者にはメリットがあるらしいが、お客にとってはデメリットしかない。百害あって一理なしの代物だ。そして機能を代替出来る装置は他にいくらでもある。現に圧倒的多数派のビルは回転扉など採用していないわけである。そして、これまた現に、この事件を機に多くの既存の回転扉が撤去の方向で検討されているわけである。撤去しようとすれば出来るというわけである。

カフェ日誌さんは自動車の例を挙げているが、自動車が大量の死傷者を生み出しつつも受け入れられ、誰も全廃せよなどと言い出さないのは、自動車に圧倒的なメリットを認め、自動車なしではそのメリットを享受できないと皆が認識しているからだ。それがゆえに自動車の危険性は「社会的に受け入れられたリスク」たりえている。

回転扉は到底そういえる状況にない。一言でいえば、あれは 無駄に 危険な代物だったのだ。だから廃止しようという話になる。

結局のところ、「どの程度のリスクまでを許容すべきなのだろう?」という問への回答は、そのリスクを許容することによって得られるメリットとの兼ね合いで決めよということになる。絶対値としての危険性を云々することはナンセンスである。

ビル施工者や管理者は、死者が出る前、けが人続出の状況で今日を予測すべきだった。遅きに失したが、今からでもやらないよりはマシ。さっさと回転扉は廃止して、もっとまともな装置を考えていただきたいと思う。

2. 一番悪かったのは誰か?

六本木ヒルズの出入り口は回転扉だけではない。子供にとって高すぎるリスクであれば、遠回りするなり、入場を断念するなど、個人として身を守るべき選択肢は、他にもあった。 回転扉を「許容できるリスク水準」と見なすのには、私個人としての明確な基準がある。それは、回転扉が自分の方に動いてくることはないと言う一点であるもっと端的に言えば回転扉に近づかなければ、回転扉で事故に遭うことはない。 である以上、リスクソースである回転扉に対して、接近をコントロールしきれなかった親の責任が重いと思っているのだ。
一見もっとらしく見える主張だ。しかし、本件に関しては、以下の点を考えねばならないと思う。
  • ポイント1:回転扉以外の選択肢があったのか?
  • ポイント2:回転扉が人が即死しかねないほどまでに危険だと、この事故が明るみに出るまで皆知っていたか?
ポイント1から見てみよう。残念ながら私は六本木ヒルズには行ったことがないので、他の経験談を探してみることにする。 http://www.geocities.co.jp/MusicHall/9918/geodiary.html
大きな回転扉を通って案内所へ到達した。地図を入手し、ウエストウォークを歩き始めた。昼前(11時過ぎ)だというのに準備中の店が多い。ああ、この街は宵っ張りなのだろうなと思いながら、見るからに高そうなアクセサリー屋や洋服屋をひやかしていたら、急に疲れが足に来た。 立っているのもしんどくなり、その辺りのベンチで一息入れる。例のチョコレート屋でショコラショーを飲んで元気を出すか、ということで後戻りしようかと思ったが、方向がわからん。 ウロウロしていたら、回転扉が見えた。「ここよ!この回転扉よ。スターバックスもあるし間違いない」とTuko。回転扉を通って外へ出たらどうも景色が違う。 森タワーは円柱形なので、ウロウロしていると方向を失ってしまうのである。なんだか無気味な巨大な蜘蛛の如き『パブリックアート』の前に来た。地図を見たら、ここは表玄関側じゃないの。 けやき坂側に向かって歩きながらよくよく見たら、森タワーの出入口は皆回転扉だし、スターバックスもアチコチあった。ハハハ。
わかりにくい構造。 「出入り口は皆回転扉」。このビルに入ることをあきらめる以外、回転扉を回避する手段はなかったということになる。なによりも子供の安全を考えるべき親としては、そもそも六本木などというところに出かけていくべきではなかったということだろうか。となると、町は危険であふれかえっているわけであり、結論としては、 http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C111252006/E2070057577/index.html を実践するしかないことになるが、母親批判派の諸氏としては、そうせよという主張したいのだろうか。

私には本末転倒の論理としか思えない。

六本木ヒルズ以外でも回転扉はいろいろなところに設置されている。なかには病院も含まれるらしい。上記の論法を敷衍すると、足腰の悪い人間、高熱で運動神経や注意力の鈍っている人間、子供などはこういうところには近づいてはいけないことになる。おそらくこの病院には健康な人以外通ってはいけないのだろう。

ポイント2についてはどうか。

回転扉は大人でも危険を感じる。そこまでは殆どの人が同意すると思う。 だが、骨折や圧死の危険まで想像できただろうか。せいぜい頭をぶつけて痣を拵えるとか、そんなレベルの「危険」しか想定し得なかったのではないだろうか。

http://www.asahi.com/special/doors/TKY200404010220.html

東京の「六本木ヒルズ」で溝川涼君(6)が自動回転ドアに挟まれて死亡した事故の前にも、ドアに人が挟まれたり、転んだりする事故が、全国で少なくとも140件以上起きていたことが朝日新聞社の調べでわかった。 自動回転ドアの主なメーカーは6社あり、この6社製の回転ドアが全国に計625台ある。
単純計算すると、だいたい4−5台に一台は何らかの事故を起こしていたことになる。べらぼうな高確率だと思わないか。すくなくとも普通の自動ドアで、誰かが事故を起こして救急車で運ばれたなどという話は聞いたことはない。

回転扉にこんな可能性があることが、そんなことが今まで告知されていたか? ノーだろう。警告看板一つ出ていたわけではない。 それでも、回転扉の危険性を予測して厳重な警戒を行なわなかった親が悪いのだろうか。


ここまで論考を進めれば結論は明らかだ。

後智慧で母親のここが至らなかったあそこがケシカランと不備をあげつらうことは簡単である。だが、そのような主張は本件に関する限り現実的ではない。住みよい街づくりを欲するなら、いちばん反省を求めるべき対象は親ではない。本件に関してはだ。他の局面に関しては「親が一番責任が重い」といえる場面が無数にあることは勿論否定しない。

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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-04-04)

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このページは、kojidoiが2004年4月 4日 00:00に書いたブログ記事です。

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