夫婦別姓制度の強制は子供に混乱を呼ぶという指摘である。 私の見解は以下のとおり。
なお、行きがかり上、jkきりんさんへの返答という形で文章をまとめるが、あくまでも論評の対象は世に存在する別姓制度反対派であることはご承知いただきたい。
http://ch.kitaguni.tv/u/4568/blog%a4%c7%bd%d0%b2%f1%a4%c3%a4%bf%b0%d5%b8%ab/0000068968.html
ではなぜ自分が「拙速な夫婦別姓推進」に疑問を投げかけるのかと言えば、「子供を取り巻く環境」の一点に尽きる。
無論、数多ある「夫婦別姓」を誠実に希求するサイトのいくつかは、「子の姓の選択」に関してそれぞれの家族が真剣に考えていることを訴えている。実際、事実婚を選択して父母のそれぞれの姓を持った子たちと充実した家族生活を送っていることをうかがわせる家族の姿が見て取れるサイトも存在する。(中略)
現状、「夫婦別姓を選ぶことのリスク」は残念ながら確かに存在し、子はそのリスクを背負う反面、子がそこから受け取るメリットは例えあったにせよ、自発的にそれを選んだ親ほどのメリットは享受できない。この「リスク」というのがよく判らない。事実婚した夫婦の子供が法律的には正式な子供とは見なされないことからくる「不利益」のことぐらいしか私には思いつかないが、だとしたら、そのリスクは「夫婦別姓」が現在の日本の法律体系上存在しないことからくるのであって、まさに夫婦別姓を公認すべき理由となるものである。
それとも何か他の種類のリスクがあるのだろうか? 正直見当がつかないのだが。
公的な書面上の不利益などは、本当にそれが必要なものであるのなら、現状においても「事実婚」などの方法によって回避が可能である。むしろこの面の不利益を一つ一つ解消しようと努めていく姿勢なくして、現状に不満を感じない人種の共感を得ることなどできないのでは、と考える。世論調査によれば、夫婦別姓を認めてもよいとする人の比率はとうの昔に50%を超えている。一部の人がわけのわからない寝言を言ってだだをこねている状況なのだ。この期に及んで「共感を得てくれない」人はおそらく別姓容認派が80%を超えようが90%を超えようがその姿勢を変えないであろう。それでも彼らが全員首を縦に振らない限り、多くの人が無駄な不利益を我慢しなくてはならないのだろうか。それは不公平というものだ。
そもそも、上で事実婚が子供にリスクを与えると示唆しておきながら、ここでは事実婚で不利益を回避できるとしているのは理屈が噛み合っていない。子供の利益・不利益に根拠を置く反対論もよくあるパターンだが、このようにやはり矛盾した主張なのである。
いずれにせよ、自分が最終的に持論の論拠とするのは「変えようとする側」は「維持しようとする側」を説得する責務があるという点です。現実論としては、緩やかに「通称としての夫婦別姓」を使用する存在を普遍化していく中で、「法的に夫婦別姓」である家庭の存在へのアレルギーを減じていく、といったところが落としどころとなるのでしょう。もちろん、民主主義的ルールにのっとり一足飛びに「夫婦別姓」を可とする法案を通しても構わない。ただ、自分のような立場の人間はそこから生じる混乱は「大人の都合」で「子供に不都合」を強要する姿勢としてコレを拒みたいと思う。通称としての夫婦別姓などはとうの昔に「普遍化」している。職場で旧姓で通している女性は珍しくない。ところがそれがいつまでたっても【「法的に夫婦別姓」である家庭の存在へのアレルギー】の消滅に繋がらないから、このように議論が沸騰しているわけである。 どうやら別姓批判派も通称として女性が旧姓を名乗ることを問題としては居ないようだから、あとは税金の管理とかその辺を滞りなくできるよう、誰と誰が家族なのかを行政側が把握できる仕組みを作ればいい話なのだ。夫婦別姓制度とは単にそれだけの話であり、情報表現の実装方法の選択の話でしかない。
そこに余計なものを脈略なくリンクさせて話をややこしくしている困ったチャンが自民党や靖国神社周辺にコロニーを作って頑張っているという図式である。私としては、個人的な趣味を押し付け多くの普通の市民に「不都合を強要」する姿勢としてこれを拒みたいと思う。
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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-04-08)
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