シツコク、blogと論争について

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殺風景な路地裏、soさんのエントリーを受けて。

http://ch.kitaguni.tv/u/3462/%a5%e1%a5%c7%a5%a3%a5%a2/0000092706.html

>そもそもブログでは「有益な議論」をしなければならないものなのか? テレビやラジオ、新聞など他のメディアに比べてブログが異なる点はどこでしょうか。それは当たり前だと思われるかもしれませんが、情報の発信可能性です。マス媒体の一方向コミュニケーションに対して、ブログは利用者同士、議論をすることが可能なわけです。つまり、いいっぱなしではないわけですよね。そこがブログ(ネット)の特徴なわけですから、そのメディアの特徴を活かしたほうがいんじゃないの。だって今まで一方的に情報を受容するだけだったんだから。そして情報を発信する以上、その発言に関しては応答責任をおうべきだとする考え方は非常に妥当だと思います。
議論の可能性については私も認めておりますよ。しかし、「可能だ」だから「すべきだ」となるのは論理の飛躍でしょう。

それと、ブログ(ネット)なんて纏めておられますが、大雑把過ぎますね。インターネットを使った情報発信ツールとなれば、メーリングリスト、メールマガジン、ネットニュース、web掲示板、チャットシステム、webページ、といろんなものが挙げられるわけで、それぞれ性格が違います。私の感覚ではブログはどちらかといえば「日記」に近い。筆者と読者の役割分担が非常に明確に分かれている、というか「まず筆者ありき」なメディアな訳です。コメント欄での議論はオマケの機能といってよいと思います。

というわけで、上の主張は掲示板などを想定するなら賛成できなくもありませんが、ブログに関してなら同意しかねますね。

ブログでは有益な議論をすべきなのでしょうか?いや、逆に言うならばブログでは不毛な議論をすべきなのでしょうか?
この言い換えは卑怯です。私は有益な議論に拘る必然性はないと書きましたが、「不毛な議論」を推奨した覚えはありません。
これはやはり、マスコミだけに頼るのではなく自分たち一人一人が様々な物事について考え、その意見を表明し議論をしていく場であると私は考えます。ハーバーマスのいう市民的公共圏(私人が議論をたたかわせて、公論へとつなげていく場)になりうるのではないでしょうか?すくなくとも、理想としてブログによって社会がよくなっていけばいいなぁとは思いませんか?逆に、ブログでは「不毛な議論」をすべきなのでしょうか。自分のために書いているという意見もありますが、それならばあえてブログにアップする意味がないんじゃない?ワードやメモ帳で書くなり自分のハードディスクにでもしまっとけという話。それが公開されることの意味を少しでも考えた方が良いのではないでしょうか。
ハーバーマスとか言われても、教養のない私には何の事やらわかりません。しかしブログを「最近になってやっと出てきた議論のツール」と捉えるのは、繰り返しますがネットニュースや掲示板の存在を考えれば明らかに的を外しています。

公開されることの意味? 世の中にはいろんな人が居るんだなあと観察できるようになるというだけでも充分に意味はあります。それで友達の一人もできれば結構なことです。

>「議論」は必然ではないが、コミュニケーションはあった方がいい。負のコミュニケーションでもないよりはあった方がいい。
あなたのいうコミュニケーションとはいったいなんなのでしょうか?負のコミュニケーションってなんなんだろう?負のコミュニケーションってよくわかりませんし、それってコミュニケーションが成り立ってないんじゃないの?ぎもんです。教えてください。
喧嘩もコミュニケーションであるとだけお答えしておきましょう。そんなものはコミュニケーションとは言わない、とあなたはお考えかもしれません。しかし私はそのような立場は取りません。
言葉がどうあれ、人は所詮じぶんの好みの主張以外は斜め読みで通り過ぎてしまうもの。いわゆる「煽り言葉」でアイキャッチを作るのは悪い戦術ではない。
逆にネガティブな見方をすれば、感情論を引き起こし冷静な議論をおこらなくなってしまう危険性もあると思いますが、この点にかんしてはどうでしょう。アイキャッチする意味って何?週刊誌のぎらぎらした見出しと新聞のスマートな見出しは、我々にとって受け取る印象が大きく違いますよね。もちろんその信頼性に関しても。
新聞だって鵜呑みにすることは如何に危険かというのは、頭のいい人ならとっくに気がついていることです。

感情論を引き起こし、の部分について言えば、「ぎらぎらした」言葉を使おうと使うまいとそんなものは起こるときには起こるのです。そもそも何をもって「ぎらぎら」というのかが非常に曖昧です。今回、死ぬのはやつらださんが使った「日本一恥ずかしい」というのが一部で不評を買っているようですが、これのどこが「侮辱」になるのか私にはサッパリ理解できない。ところで、新聞の見出しのどこがスマートなんですか?

>何をもって「煽り」というのかは、結局は一人一人の主観による。穏やかなら良しというのものではない。逆に「慇懃無礼」と取られる可能性もある。悪意を持ってみれば何でも挑発に見える。だったらいっそはじめから「挑発御免」でいったほうが楽。
これはさ、楽だから「挑発御免」でいったほうがいったほうがよいと受け取ってかまわないのかしら。
しなくてもいい苦労はしないに越したことはありません。

それに、自分に正直にならず、表面上とりつくろったエントリーを公開し続けようったって結局長続きしません。また、どんなに意を尽くそうとも、できたエントリーが100人中100人全員に満足してもらえるということはまずありません。逆に、言葉遣いが乱暴でもエキセントリックでもそれを面白いと思う人は出現するものです。蓼食う虫も好き好きというでしょう? それは真理です。

それならもし、ブログを利用するだれもがそのような態度でしたらいったいどうなるでしょう。
心配する必要はありません。私や死ぬのはやつらださんのようなテイストのエントリーで北国なりココログなりが埋め尽くされることは決してないでしょう。

私が言いたいのは、一番大切なのは「多様性」だということです。議論をしたければすれば良い。しかし、ひたすらつぶやきモードのエントリーだってあってよい。私小説のようなエントリーがあっても良い。いずれにせよ、あまり自分のスタイルを人に押し付けないで頂きたいです。

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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-06-18)

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このページは、kojidoiが2004年6月18日 00:00に書いたブログ記事です。

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