ブログのコメント欄に書き込まれたコメントをどう扱うかべきかという議論だが… なんでそう無駄にややこしく考えねばならんのか。
http://ch.kitaguni.tv/u/116/weblog/0000113269.html
ただ、BBSを設置するというのはそんな甘っちょろいものではありません。「感想」というのはイイものだけを指すわけではないです。「感想お待ちしています」というのは批判も反論も全てを含有します。それを受ける覚悟も無いのにBBS=コメント欄を設置しているのは、俺はBBSってものを甘く考えすぎだと思います。そういう覚悟も無く安易にBBSってものを考えているのなら間違ってます。メールフォームでも付けてコメント欄無くすべきです。他人に場への書き込みフォームを公開するってことの意味を軽く考えすぎている。
つっこみ1:装置に振り回されるな
コメント欄には批判も反論もくる可能性がある。それはもちろん真実だ。 だが、highbiscus氏がすべて清濁併せ呑む覚悟で彼のいうところのBBSに臨むことはもちろん自由だが、 同じスタンスを取らないからといって「甘い」から「なくすべき」とはずいぶん独善的と違うか? 甘いとして、それがどう問題だというのだろうか。書き込みフォームを公開するには「覚悟が必要」でメールフォームならOKという主張も理解できない。コメント欄を非公開ないしは速攻削除体制 にしておくことと、コメントをこっそり(?)メールだけで受け取ることの間にどれだけの違いがあるというのだろう?
どうも、装置のありようというものに思考が振り回されすぎという印象を受ける。 まず使用者のポリシーがあり、次に、装置があるのだ。その当初の開発目的がどうであったかなどどうでもいい。 機能が用意されているからといって使用者はその機能をすべて使用する義務はないし、 ほかの目的に流用することを禁ずる根拠もない。そこに使えそうな装置があるなら 使用者が使いやすい使い方で使えばいいだけの話だ。主客を転倒させてはいけない。
つっこみ2:誰のためにゴミをとっておくつもりか
全てを「さらしておく」ことでエントリーの信頼性が高まるというような主張をしてコメント削除を非難する人が私のブログにも きたし、 野良猫氏も削除行為に否定的な主張 をしている。どうもhighbisucus氏もそれに近い考え方をしているように見える。しかし私も10年近い fj 歴を踏まえて言わせてもらえば、このような主張は事実に即していない。変な神話をあまり流布させないでほしいと私は切に願う。
真実はこうだ。だれかがゴミを投稿する。すると必ず尻馬に乗るやつが現れるのである。普段は何も記事を投稿しないくせに 場が荒れそうな雰囲気を感じ取ると突然どこからともなく銀バエのように飛んできてうるさく飛び回る。 ほうっておくとどうなるか。ハエの数が増えるのである。かくしてまともな記事は腐海に飲まれ、低まったSN比に 嫌気がさしたまともな参加者たちはその場を捨ててほかの場所へと移っていくのである。かくしてその場は廃れる。
これを防ぐにはどうすればよいか。私の得た結論は上の諸氏とは正反対である。
ゴミ(=主宰者のポリシーに反するもの。世間の基準では「良い」ものであったとしても)は 速攻排除しかない。妥協は必要ないし、誰の顔色をうかがう必要もない。かならず、民主的でないなどと騒ぐやつが あらわれるが、もちろんそういうイチャモンも削除してよい。そうして一定の品質と方向性を保つことで、はじめて あとで省みるに足るコンテンツが出来上がるのだ。
証拠の保全というような発想は必要ない。われわれは裁判をやってるんじゃないんだから。
話はそれるが、私はfjに愛想をつかして昨年春に読み書きを一切やめてしまった。 fjに上で述べたような自浄作用が働かず、参加者のほとんどがいつのまにか基地外と現状維持至上主義者ばかりになってしまったからである。
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本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-08-20)
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