「論理の整合性アピール」と「論点ずらし」のテクニックに関する考察など。
死ぬのはやつらださんのところの議論をウォッチしている。
議論の駆け引きはこうやるものだというお手本として、あるいは、 論争相手の論理的矛盾を指摘するときはよくよく注意深くある必要があるという教訓として、野良猫という人のコメントは興味深い。
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/%bb%d6%a4%a2%a4%eb%a4%e2%a4%ce/0000111709.html
なるほど。「死ぬのはやつらだ」さんの主張は、今までにお話しした「護憲」の方とは少々違うようですね。自衛隊を無くすことは出来ない、とのことですが、軍縮を続けることによって段階的な縮小・廃止は不可能ではないのですからそんな事はありません。あなたが仮に自衛隊の存在に不満があるならば、廃止に向けての主張をすればいいのではないでしょうか。現状を追認する考え方なら、そのままでもいいのですが。 もしも、9条維持を求めるのならば、自衛隊廃止を求める「非武装中立論」に為らざるを得ません。自衛権を認めるのならば、国家の基本方針である憲法にその旨を書き加える必要がある。論理には整合性が無ければならない。 つまり、「死ぬのはやつらだ」さんは「改憲派」と判断してもよろしいのでしょうか?憲法は交戦権は否定しているが、自衛権は否定していない。これが自衛隊存在の根拠になっている。自衛権と交戦権は、すくなくとも日本の公式見解では別物ということになっており、どちらかが他方の部分集合であるわけではない。
したがって「9条維持を求めるのならば、自衛隊廃止を求める「非武装中立論」に為らざるを得ません。」は偽命題である。この偽命題を真であるかのようにさりげなく示唆することによって論争相手(死ぬのはやつらださん)の主張に論理的矛盾があるとの印象を定着させようという戦術だ。参考になるテクニックですね。
そもそも「死ぬのはやつらださん」は自衛隊の存在に不満をもっているのか? 「廃止は不可能だろう」とは書いてあるが、日本語の標準語として読み下す限り、これを「廃止すべきだ」とか「改変すべきだ」とかと同義と解釈することは不可能。
つまり野良猫氏は、論争相手がいっても居ないことをいつのまにか議論の論点の一つに祭り上げてしまっている。これは論点の「ずらし」だが、野良猫氏は他のところでは「部分と全体の混同」というヴァリエーションも使っているね。これも参考になるテクニックです。
そして、他国は憲法9条が無くても「歯止めがきかない」状況にはなっていないようですが、日本だけがそうしなければならない差違を教えていただけませんか?これはテクニシャン野良猫氏にしてはうかつな攻めといえる。これは足元を掬われますね。 たとえば次のような主張を考えてみると解りやすかろう。
俺の親父が乗っていた昭和50年製のシビックにはエアバッグなんてついていなかったけど誰もその車で事故死したものは居ませんよ。今になって乗用車にみんなエアバッグをつけなければならない理由を教えてください。こんな主張にうなずいてくれる人が何人いるかね。
「歯止めの利いている」他の国にはおそらく9条に代わる別の「ショックアブソーバ」が存在しているのだろう。国情は国ごとに違うのだから、そのショックアブソーバーの形が国ごとに大きく違うのは当然である。たまたま日本においては9条にその機能を期待している人がいて「護憲派」といわれているに過ぎない。日本以外の国に9条が存在しないことはこの議論には何ら関係ない。これも「論点の摩り替え」攻撃の一種だが、あまりに解り安すぎて、よほどのマヌケ以外には有効ではないだろう。
しかし、最後に一つフォローしておけば、さんざん野良猫さんのコメントをコピペしまくっていた変なゲストなどに比べれば、野良猫さんは遥かに誠実で愚直である。私は嫌いではない。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-08-16)
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