……語るのがいいんだろうな。 経済とか政治とか健康問題とかで物申したいときは。
これらの問題に関しては、かならず、強固な教義を伴う「宗教」の流派が存在する。すなわち「日本国無謬教・南京大虐殺幻派」・「同・中国陰謀告発派」・「同・なにがなんでも日教組悪玉派」「自然崇拝教・有機農法絶対派」・「同・遺伝子組み換え要らない派(さらに理論派・武闘派に細分)」・「懐古教・戦後民主教育否定派(教育勅語礼賛派)」・「同・パラサイトシングル敵視派」……。
みんな宗教なのだ。
大学に入学したとき、最初に受けた忠告は「原理に気をつけろ」だった。いわゆる統一教信者のことだ。この教団に洗脳された学生たちがいろいろ偽装サークルを作っていて一般学生を勧誘しに来る。いったん取り込まれたら最後だ。彼らはまともに学業に励むことも周囲の同級生や教官たちと正常な人間関係を取り結ぶこともなく、ひたすら自分勝手な教義の理論体系の中で自分たちを内輪で肯定しあう。周りがどんなに理を尽くして説得しても彼らを離脱させることは困難を極めるということだった。親兄弟でさえ、サタン呼ばわりして全否定するのだ。
ブログや掲示板でしつこく異論者に付きまとっている上記の宗教者たちも、その反応は一緒だ。彼らをなまじっかなことで説得できるものではない。なんどかやってみたが、下手に議論に足を突っ込むと、いつのまにか「ミイラ取りがミイラに」なってしまう。対話してみようという気持ちが、いつのまにか彼らの手法を模倣することに繋がってしまうのだ。あとで冷静になってみてぞっとしたりする。結局、くびをつっこんでしまった自分の無力さを噛みしめることになるだけで、事態は何ら改善しない。
だから、やめたほうがいい。そういう「議論(もどき)」なんか止めよう。
それより、彼らによって近い将来洗脳されあるいは「刷り込み」されてしまうかもしれない 今は「中立な」人々 に訴えかけるほうがいい。かつての私たちに「原理に気をつけろ」と忠告してくれた先輩たちのように、だ。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2004-12-19)
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