12月30日、「あさかぜ」は快調に下関に向かって走る。
横浜、熱海と過ぎ、始発の東京では目立った空席もどんどん埋まってきた。熱海を越えたあたりで、だいぶん腹が減ってきて、もう乗客の移動も一段落してきたことだろうしと思い、弁当を食べることにした。ラウンジは残念なことにいっぱいだったので、廊下の折りたたみ椅子を下ろしてそこで食べることにする。
しかし、やっぱり弁当というのは、何か寂しいものがある。昼食ならいいのだ。しかし、夜暗いところで冷めたご飯を一人でボソボソぱくつく図はどうにも気分が盛り上がらないように感じるのは私だけか。晩ご飯は明るいところで暖かいものを食べたい。北斗星のような豪華なものをとは言わないが、やはり夜行列車には食堂車をつけて欲しいと思う。
需要がないことはないと思う。ただ、深夜・早朝も同じ列車にずっと連結したままというのは非効率的だろう。さいわい列車というのは運行の途中で車両の組み換えが出来る。あさかぜのように比較的早い時間帯に出発する列車の場合は、始発では食堂車をくっつけておき、熱海あたりで切り離してしまうというのはどうだろう? 切り離した食堂車は、対向する上り列車の適当なのに連結しなおして東京に戻してくれば良いのではないか。その間中、食堂車はレストランないしは居酒屋として通して営業するわけだ。行きは長距離客が飯を食い、帰りは仕事帰りのビジネスマンがちょっといっぱい引っ掛けていく。無駄なく営業できると思うのだが……。
などととりとめない想像を巡らしながら食事を終え、寝台に戻った。寝台は他人の動きを気にせずに済む上段である。しかしまだ寝るには早い時間帯であった。折りたたんだままの毛布の上に寄りかかった姿勢で、MP3プレーヤにコピーしておいたベートーベンの合唱つきを聞いてひとりで年末気分を盛り上げる。やはりこの曲は名曲だ。それに「ああやっぱり今年という年も終わっていくのだな」という気持ちになる。
そうこうするうち、広島まで車内放送を中止する旨のアナウンスが流れ、照明が少し暗くされた。夜11時ごろ。私もベッドメークをして本格的に寝る態勢に入ることにする。浴衣に着替え、毛布をかぶるが、まだまだ眠れない。第9を繰り返し聞きながら、正月2日に物凄く久しぶりに再会することになるはずの高校の同窓生たちのことなど考えたりする。浜松駅を過ぎたあたりまでは覚えているが、そのうちいつのまにか眠りに入っていた。
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「あさかぜ」B寝台。
本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-01-09)
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