本質を批判しろ

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住基ネット反対と遺伝子組み換え反対について、改めて書いてみる。

先日はいささか面白半分な文章を仕立てたが、今回はもっと本質を捉えた主張をしたいと思う。

というのも住基ネットに関して以下のような極めてまっとうな批評を見つけたのに刺激されたのだ。前前から私が考えていたことを非常によく代弁してくれている文章なのである。

http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2002_10/2002_10_16.html

たしかに、単独ではプライバシー情報として認められない住所、氏名、性別、生年月日というデータでも、漏洩してある種のデータと結びつくと、その全体がプライバシー情報となる。例えばアダルト・ビデオの愛用顧客リストと結びつけて、それを悪用して脅迫行為を行うものも出てくるかもしれない。しかし、それは、直接的に脅迫行為を禁止して取り締まるべき筋合いのものである。脅迫者に材料の一部を提供してしまう危険性があるからといって、住基ネットに反対するのは筋違いというものである。
特に最後の文は示唆に富んでいる。ここで考えなければならないのは、「危険性」を属性として持つのは何かということだと思う。情報漏洩とその悪用はどのようにして成立するのだろうか? 答えをいえば、情報を記録したモノがあり、それを悪用しようとする不心得者が存在することによって成立するのだ。

そして、その「記録したモノ」が住基ネットの構成物である必然性は全くないのである。すなわち、この問題における「危険性」は住基ネット固有の属性ではない。戸籍とか住民票とか社会保険データベースとか運転免許データベースとか企業の顧客リストとか、それら全てを包含する 概念をとりあえずここでは「個人情報記録」と呼ぶとしよう。危険なのはこの「個人情報記録」一般にいえることなのだ。

だから問題にするなら「個人情報記録」一般を批判するなり議論のまな板に載せるべきであって、住基ネットだけを犯人扱いするのは論理の摩り替えといえる。この点において反対派は間違っているのである。

住基ネットに限らず、民間のシステム化にも共通していえることであるが、情報の漏洩と悪用の危険を増大させる結果につながるとしても、今後ともシステム化はどんどん進めざるをえない。こうした問題は住基ネット固有の問題点ではなく、ネットワーク社会全体の永遠の課題なのだ。情報の漏洩と悪用は絶対に阻止しなければならないが、その危険は常にある。しかし、対応技術もどんどん進むのである。
どんなものでも既存のものこそ最高だと思っている人がいる。とにかく何かが新しくなるのが気に食わないらしい。本能的なものなのだろう。だから、彼らの主張はいたるところで論理が飛躍していたり矛盾していたり木に竹を接いであったりする。付き合っていてはいつまでも社会は進歩せず、真に解決させるべき問題が解決しない。彼らに対しては、やはり断固とした批判と、論理に即した「切り捨て」が必要だと思う。

遺伝子組み換え反対についても同様な見方が可能。長くなったので、両反対派の類似性などについてはまた後で書く。


本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-06-04)

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このページは、kojidoiが2005年6月 4日 00:00に書いたブログ記事です。

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