前エントリーでは映画の話を書く前に力尽きてしまったので、続編として映画評を。
*おことわり: やや、ネタバレあり*
小説の続編と時をほぼ同じくして、映画のリメイク版も公開されたわけだが、こちらは小説とは随分異なったテイストとなっている。ストーリーも登場人物設定も大きく変更されていて最早全く別物といってよい感じだ。「ガリバー旅行記」と「天空の城ラピュタ」ぐらいの違いとまでは言わないが、「残された人々」と「未来少年コナン」ぐらいの違いはある。
まずSF考証的には、「圧倒的な地質学的変動に対して、いくら強力でも数十発の爆薬ごときであんな解決を図ることが可能なのか?」という疑問が浮かぶのだが、私は物理学は苦手なので深入りしないことにする。
科学考証については、ここに面白いコメントが。
もっと思想的な部分についての疑問がある。
何か、「仕事や使命ではない、個人の想いを中心に据えた物語に」とか何とか監督はコメントしている(プログラムより)のだが、「やっぱり日本が一番」ってことなんですかね。
小説版第2部で原作者らは、「国際社会の中での日本人のありかた」、ひいては、「国家とはどうあるべきものか」といった問題提起をし、登場人物たちに新旧の価値観を語らせている。物語の核となっているのも、日本ではなく、全地球規模の気候大変動だ。
それに対して、映画版は……。一人の人物の尊い犠牲で日本はこれまでどおりですめでたしめでたし、ですか。なんとなく「若者の保守化」といったキーワードが脳裏をよぎる。確かに冷酷なエリートに切り捨てられる無辜の市民なども描写され、ある種の(やや月並みな)メッセージ性も持たせようとしたことは分かった。しかし、物語のスケールとしては小説には遠く及ばない。
私はブログに映画評を書くときはたいてい良いことしか書かないのだが、SF古典への思い入れから今回は辛口に締めくくる。柴崎コウか草なぎ剛のファンならお勧め。骨太のストーリーを楽しみたいならお勧めしない。
ところで、なんと筒井康隆の「日本以外全部沈没」が映画化されるそうだ!!! これは死んでも見に行く!
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