祖母が亡くなった

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明日は通夜に出なければならない。

こんなことは自分の胸にしまっておくべきという考えもあるかもしれないが、どうももやもやしたきもちが解消されないので気持ちの整理のために書いてみる。

2週間前、もう危ないからという電話で急遽九州に飛び面会してきたのが、祖母に会った最後になった。

老いたとはいえ、祖母はたった一年前までは特に持病もなく、普通に一人で暮らしていたのだ。物静かで周囲によく気を遣い、しかし言うべきことはきちんと言う、芯の強いしゃんとした人であった。

それが3ヶ月前に体調を崩したことをきっかけに突然寝たきりとなった。お盆のことで、私はそのときは忙しくて寄らなかったのだが、両親と妹はその場におり、病院に連れて行ったりしたようだが、そのときの電話では、まあ一過性の病状で心配はあるまいという感触であった。

ところがそこからは坂道を転がるように事態が悪化していったのだ。
祖母は食事をとらなくなり、みるみるやせ衰え、トイレに行くとき以外は布団の上から動こうとせず、トイレには赤ん坊のように這って行くようになった。

会いに言った私が、なにより愕然とさせられたのは、会話ができなくなっていたことだった。声は聞こえている様子なのだが、話しかけても返事をしようとしない。

人間こうも変わるものかと思った。


見ているのがつらかった。

それでも帰りの飛行機の時間が近づいてきて、枕元にいって暇をいうと、祖母は小さい声で「どうもすみませんでしたねえ」と私に言ったのだ。何を謝っているのか……。それでも祖母らしい言葉だった。それが最後の会話。

空港まで送ってくれるという父に続いて玄関口に立ったとき、ほんの一年前には外まで見送りに来てくれた祖母は布団の上にいて微動だにしないでいた。私はもう祖母の姿をろくに見る気にならず、辞去した。

車の中で父が言った。お前はやっぱり結婚はしないつもりか。年をとっても本当に一人でいるつもりか。いつもなら「どうせ結婚したところで、死ぬときは一人づつなのは変わりないだろ」とか反発するだけなのだが、今回ばかりはそんな気にならなかった。

「ワシも死ぬときのことなんか知るかと思っていたがな、あっというまにこういう時期が来るぞ。本当にあっという間に」

私は黙って聞いていた。あと20年経つか立たないかのうちに、こんどは父と母がああなっていくのだろう。そして、私も、今までの人生の期間をもう一度繰り返せば、もうそういう年齢に達するのだ。

いつかはそれを考えなければならない。いや、まさに今、それを考えるべきなのかもしれないが、とてもそんな気にはなれない。

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コメント(1)

謹んで哀悼の意を表すものです。

合掌。一礼。

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このページは、kojidoiが2006年10月13日 00:23に書いたブログ記事です。

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