先週の朝日新聞夕刊一面に、最初期のころの南極越冬隊にまつわる秘話が掲載されていた。記事を書いたのは数年前に実際に南極探検隊に同行取材をした中山記者である。
一話目は南極大陸に日本史上初めて上陸した男たちの話。公式記録より前に、最初の探検隊に参加していたテクニシャンな男たちがこっそり上陸を果たしていたという。
彼らは奥深い北国の高山で長年暮らしていた一族の出で、雪や氷を相手に動き回る高度な技術を継承し、狩猟をよくし、探検隊を大いに助けた。そんな彼らが、好奇心に勝てず探検隊のほかの隊員たちには内緒でこっそり非公式に南極大陸まで往復していたというのである。しかし怒られると思って何十年もそのことは誰にも言わないでいたため、南極一番乗りの賞賛には別の偉い人たちが浴することになっていたのだ。
初めてづくしの第一次探検隊の活動が成功裏に終わったのは彼らの優れたサポートあってのことだったろう。そのことを知る人はほとんどいない。だが、優れた発見・発明というのものは、そうして地味に貢献してきた技術者の存在なくしては困難なのである。けっしてボスだけが偉いわけでもなく、いわゆる「研究者」だけが偉いのでもない。
ところが、表に出て講演や論文発表などをしない技術者を劣等人種のように扱う研究者は多い。学位をとっていながら狭義の研究者ではなく技術者として就労した者を落伍者のようにいう研究者は、もっと多い。彼らはいつの日かその狭い度量からしっぺ返しを食らうことになるだろう。
点取り虫的な発想で目先の論文発表頻度ばかりを競う研究者より、独自の技術をひとつでも持ち多くの研究者のヘルパーを後方で黙々とこなしている技術者のほうが、よほど科学の発見に貢献している偉大な存在である。私も願わくば前者よりは後者として生きたいものである。
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