近視眼的拝金主義者渡邉美樹 : やはりこの男に教育など語らせるべきではない

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バウチャー制度の熱烈な信奉者(本人はそうではないと主張しているが)である渡邉美樹が日経ビジネスオンライン(NBonline)にて、

> 私がバウチャー制度に託すもの~進学校だけがトクをする。本当にそうか?

なるタイトルでまた一席ぶっている。

読んでみたが、彼の思慮の浅さカゲンが浮き彫りになっているだけでなんら説得力なし。

本文は以下のページにて読める(ただし無料会員登録が必要)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070703/128975/

少し長くなるが引用しよう。

親は自分の子どもを通わせる学校を自由に選び、このクーポン券を学校に渡します。学校はそれをお金に換え、学校の運営と教育の充実に使う。クーポン券が多く集まった学校は、親や子どもたちから支持された学校ということになり、使える補助金も増えるという仕組みです。逆の場合は説明する必要もないでしょう。当然、学校間には生徒争奪戦が起こり、自由競争が喚起されるというわけです。

要するに競争さえ起こればなんでも質が上がるというのが渡邉美樹の思想。

たしかに競争がひとつのきっかけになることは認めよう。第二電電の出現で確かに電電公社・NTTのサービスは格段に良くなった。だが、教育とか学術研究にその原理が通用するものだろうか? 教育というのは基本的に未熟な人間に「苦い薬」を押し付けるものである。ある意味で洗脳するのである。満足をサービスするための営みではない。そんなものの評価を顧客(親)に託すことが妥当であろうか?

これは当然の疑問であり、さすがに教育再生会議でも相当に突っ込まれたのだろう。そこで渡邉美樹は反論を試みようとする。

なぜバウチャー制度が必要か、もうひとつ別の角度からいえば、もっといろいろな学校があっていいということなのです。

うちの学校は生徒を東大に入れます、うちの学校はスポーツエリートを育てます、うちの学校は生徒にボランティアを徹底的に学ばせます、といった具合にさまざまな方針を持った学校があっていい。あとは保護者と生徒がどの学校を選ぶか、だけなのです。

 学校という名のサービスはもっと多様化していいはずですし、競争を通じてその品質が上がっていけばいいのです。そのために絶対的に必要なのが、市場メカニズムの導入であり、競争だということなのです。

 しかし、そうなったら、結局、親は有名校への進学率を物差しにして、偏差値の高い学校に入れさせるだろう、要するに学校の個性なんかで選びはしないのではないか、という意見もあります。親には学校を選べないだろう、わからないだろう、と。

またしても当然の疑問だ。これが懸案のバウチャー制度にみられる危なっかしさなのである。渡邉美樹は再反論を試みる。いいぞいいぞ。話がいよいよ核心に迫るか。なにしろ本エッセイのタイトルであるし、じっくり読ませてもらおう…。

けれども、ちょっと待ってください。少子化が進むいま、実は学校教育の現場で問題になっているのは、むしろ大学に「全員が入れてしまう」、いわゆる大学全入時代に突入しようという事態のほうなのです。

なんと、このあと卒業認定要件を国定にして厳しくせよという話になり、それを以ってこのエッセイは終わりなのである。

ちょっと待てと言いたいのはこっちのほうだ! なんだこれは!

話のすり替えではないか。問われているのはバウチャーと学校の多様化との関連の話だろうが。これでは結局「進学校だけが栄える」懸念への何の反論にもなっていないどころか、バウチャーというのがそういう性質のものであると間接的に認めているに等しい。

結局のところ、多様化がどうとかもっともらしく風呂敷を広げているが、本音の部分ではそんなことまったく考えていないということなのだろう。

良い大学>よい会社>トコロテン式に安寧な老後をゲット、という図式が崩れてきていることはもう多くの人が認識している。だから大学も昔ほど魅力的な場所ではあり得ないだろう。その上、大学にも変な経済原理が導入されて学術ではなく商売に走らなければ生きていけないようなことになっており、だったらわざわざ「大学」に通学したり奉職したりしなくてもいいじゃんということになっていくだろう。

そこでバウチャーがもし導入されたらどうなるかといえば、彼の言う「卒業認定」なんてどうせ大して役に立たないのだから皆それほど問題にせず、まあたとえば英検一級とかTOEIC**点とかを必ず生徒に取らせてくれそうな学校なんていうのが栄えることになるのだろう。要するに対象が大学からもう少し「卑近な」対称に移り変わるだけでいわゆる進学校的な学校ということになる。他はせいぜい株の売り買いのノウハウをみっちり教えてくれる商業高校とか専門学校とか職業訓練校みたいなところであろう。いずれにせよ、要するに目先の役に立つことにしか興味がないという人々ばかりが相互扶助して増殖していくということではないか。

それがいいこととは思えないから、バウチャーへの反論がでてくるのだ。しかし、渡邉美樹はそういう状況を悪いとは思わず、むしろ社会はそうあってしかるべきだと信じているのであろう。そういう偏った世界観に漬かっているから反論の核心が理解できず、こういう中途半端な『反論』を臆面もなく晒すことになる。

渡邉美樹は居酒屋の親父としては有能な人物なのであろうが、教育を語るにはふさわしくない。すくなくとも教育再生会議(そもそも「再生」が必要なほど教育が「死んでいる」とは思わないがね)からは追放すべきである。


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このページは、kojidoiが2007年9月10日 02:20に書いたブログ記事です。

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