人の国のことを砂漠だなどと、言ってられる場合か?
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51153804.html
ノーベル賞まで話を大きくしなくても、現代の中国がいかにサイエンティストとエンジニアにとって砂漠なのかは、サイエンティストではないがエンジニアの私にもよくわかる。
中国国内の実情に詳しいわけではないが、今の日本はサイエンティストやエンジニアにとっては最悪の砂漠状態だと思う。これほどまでに専門性を持った人材を大事にしない国、優秀で誠実な人材のもつ専門性を大事にしない国がほかにどれほどあるのだろうか。
アメリカなんかの研究室では実質的に中国人のポスドクが実務の最前線を担っていることが少なくない。学会に参加してみればよく分かる。こういう場に出てくる中国人はとにかくパワフルで押しが強い(正直不愉快さを感じるほどに)。これはしかし考えてみれば当然である。こういう人たちは、日本のデモシカポスドクなどとは違って、大学院に入るまでにものすごい競争を勝ち抜いてきた人たちであり、またそれなりの将来が約束されている人々なのである。だからこそ鼻息荒くやっていられるのである。
日本はどうか。話にならないではないか。企業はサイエンティストなどに見向きもしていない。ちょっと景気が悪くなると簡単に技術労働者の首を切る。いまは形ばかり民営化っぽく「独立法人」を名乗る旧国立大学や旧国研にも、一部の有意な人達を除いて、大局観に基づいて人材を育てサポートしようと努力しているようには見えない。その一部の有意な人達の貴重な営みがどう評価されているかといえば、
http://blog.nikkeibp.co.jp/bio/miyata/2008/11/200373.html
に総括されているような状況。
河野太郎がもう少し具体的な話をまとめているが、
http://www.taro.org/policy/post_3.php
ここからたどれるコメントを手繰れば、「声の大きい人たち」が如何に研究・技術開発の重要性や難しさを理解していないか明白である。
このような状況で、若きサイエンティストやエンジニアは非常に大きな精神的負担を押し付けられている。いいように才能や経歴を買いたたかれ、まるで大学等でコツコツ努力していることが落ちこぼれの引き籠りの所業であるかのような言われようをされながら不当な待遇でなんとか飯を食っている人がどれほどいることか。小飼弾氏はそう感じていないかもしれないが、それは彼が技術者としても経営者としても大変な才覚に恵まれているパワフルな人物であるからであって、すべての研究職・技術職を志向する人間に一般化できる話ではない。
そういう周囲に「洗脳」されて、本当に自分の価値に自信を持てないでいるのが人々の典型がいわゆる「ポスドク」の平均的な処であろう。
今の日本ではサイエンティストやエンジニアがその立場で生き抜くための努力はすべて「自己責任」で片づけられる。もちろん自己責任の発揮は大切だ。なにも上げ膳据え膳を用意しろという話ではない。だが、個人の気力や能力や経済力や運は有限である。
以下のようなブログ記事もある。
今の日本は間違いなくサイエンティストやエンジニアにとっては生きることもままならない「砂漠」である。現に大学院は定員割れを起こし始めた。「理科離れ」が叫ばれて等しい。にもかからわずその根源にある「専門性を尊ばない」意識の問題はあまりクローズアップされていない。これをもっと強力に問題提起すべきなのであるが、いったいどこのチャンネルに対して叫べばよいのかがわからないという現状が問題の解決を妨げている。
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