続・夫婦別姓は子供のためにならない?

| コメント(0) | トラックバック(0)

夫婦別姓反対派の意見にまた接することになったが、また同様に論破してみようと思う。なに、簡単なことだ。

http://ch.kitaguni.tv/u/1181/%bc%d2%b2%f1/0000069281.html の主旨は、 まさにこの2月8日に出現したゲスト氏が振り回しているような論理の馬鹿馬鹿しさを指摘することにあったのだ。

私が言う「不利益」というのはかなり広義な意味です。たとえば別姓夫婦の子供が家庭問題から家出をし、お金欲しさに強盗をする割合高くなった、としたら強盗された被害者やそのために働く警察官、そうした子供たちの犯罪に対する対策費(血税)。そこまでひっくるめての「不利益」です。社会的不利益といえばいいかもしれません。いっこ上のゲストさんが「前提があるように見える」原因はここにあると思うのです。そして別姓を容認したあと社会的な問題が生じ、制度を元に戻せば何事も無かったようにならない、というのも「不利益」です。これらは全部私のあさはかな愚考ですので杞憂かもしれません。しかし本当に杞憂なのかどうか、誰にもわからないはずです。杞憂であることを納得させられる、という方がいればぜひ話を聴きたい、とも思います。
この主張には二つの欺瞞が含まれている。ひとつは「不利益」の恣意的な定義であり、もうひとつは「誰にもわからない」という決め付けだ。

一つ目からいこう。なぜ夫婦別姓の提案が行なわれているかといえば、今まさにそれが認められていないことによる「不利益」を感じている人々が現存するからだ。ゲスト氏は、あるかどうかも分からない未来の不利益(実際、起こりえない不利益だと容易に推論可能だ。極めて容易にな。後述)にはウジウジ拘るくせに、今まさに現実に確実に厳然と存在している不利益(=夫婦別姓を認めないことによる不利益)は、黙殺して平気でいるのだ。現実より非現実を優先させるアンバランスさは、別姓反対派の根幹をなす病理の一つだ。はやく治療しろ。

二つ目にいこう。「本当に杞憂なのかどうか、誰にもわからないはずです。」一見もっともらしく聞こえるが、的外れだ。なぜなら別姓を実践している国は既に存在するし、婚姻届をださずにいわゆる「事実婚」で家庭生活を協同している人々は日本にもたくさんいる。夫婦別姓制度とはなにも特別な話ではない。婚姻届に二つ姓を並存させるかどうかという、記号表記の方法論に過ぎないのであって、家族の肉体的・精神的・物理的つながりには一切変更を迫るものではないのだ。(その自明の理がなぜだか反対派には理解できないようだ。その珍妙さを指摘したのが 以前のエントリー の主旨)。

家族は今も未来もかわらず家族でありつづける。もし崩壊する家族があったとしたら、それは苗字などに左右されたのではなく、初めから壊れる運命にあったのだ。繰り返すが、論点は表記の問題にあるのであって、家族のありように一切の変更を強要するものではない。それどころか表記すら変更する必要はないのだ。そんなわけなのだから、既存の家族モデルを別姓家族に当てはめることには何ら問題があろうはずがない。本当に杞憂かどうかの結論は、虚心に現実を評価すれば「誰にでも分かる」。回り中に実例が溢れ返っているのだから。

ゲスト氏はソ連にも妙な拘りがあるようだ。

旧ソ連では法的不利益解消のために同姓になる登録婚になる必要をなくし、事実上別姓夫婦を法的に認めたわけです。選択的夫婦別姓制度は法的不利益を解消するためには別姓であるにしろ登録しなければならないので、ソ連ほど革命的な政策では無いように思います。しかし法的に別姓を認めた点では同様であり、一方の旧ソ連では社会的に混乱することが実証されています。そして選択的別姓にしたことで社会的混乱に陥らないという保証はどこにもありません。
旧ソ連の話は保守派の視点からロシアの家庭事情を総括しようというしているもののようだが、ここで展開されている家庭崩壊の悪人探しは、始めに結論ありきで纏められた恣意的なコジツケに過ぎない。いわゆる別姓容認を行なっていない日本でもアメリカでも離婚は頻繁に起こっていることを知らぬわけではあるまい。あきらかにこの記事の主旨に矛盾した現実だ。それ以前に、そのそも「家庭崩壊」の位置付けがハッキリしない。うまくいかない人同士が家族であることを止めることの何がいけないのかね? 形式上家族を演じつづけるよりずっと自然で健全だろう。なぜそう家族というものを一定の狭い枠組みに嵌め込みたがるのか? そういう考察をしてみて欲しいと思う(といっても絶対に彼らはやらないだろうけどな)。   というわけで、今回も浮き彫りになった反対派の論理の破綻。「認めたくないものは認めたくない」という主観的で頑迷な思考経路。まあ、こういうものを一つづつ浮き彫りにして啓蒙に励むしかないのだろう。

本エントリーの初出:チャンネル北国TV (2005-02-10)

トラックバック(0)

トラックバックURL: /177

コメントする

このブログ記事について

このページは、kojidoiが2005年2月10日 00:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「2GBの容量をもつgooメールを試用してみる」です。

次のブログ記事は「ウルトラマンを育てた悲劇の天才」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アーカイブ

Powered by Movable Type 5.01

2015年12月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
  • アクセス管理
    人気ブログランキング - testブログ あわせて読みたい

    アイテム

    • AropbKZCMAAk6mG.jpg
    • P1000323_crop.JPG
    • P1000343.JPG
    • P1000342.JPG
    • P1000335.JPG
    • IMG_0491.JPG
    • IMG_0487.JPG
    • IMG_0485.JPG
    • IMG_0483.JPG
    • P1000319.JPG